安芸の国から

安芸の国に暮らすおじさんのお出かけ記録です

旧帝国海軍:安浦港のコンクリート船「武智丸」

11月22日にコンクリート船「武智丸」が防波堤になっている呉市安浦の安浦漁港へ出かけました。コンクリートの船? 船が防波堤になっている?? と、何かと不思議な感のあるお出かけです(それほどのことではない(^^;)。

コンクリート船とは?

その単語が示すとおり、コンクリートでできた船です(汗)。ほとんどなじみのない「コンクリート船」ですが、日本でも第二次世界大戦前から数隻建造されていたようです。安浦漁港にある武智丸は第二次世界大戦時、資材が枯渇してきた帝国海軍が鉄鋼資材の不足を補うために舞鶴の海軍工廠が設計・研究し、もともと土木工学家だった武智氏が創業した武智造船所で建造されました。

ちなみに武智造船所では、この武智丸の前にもコンクリート船を建造していたようです。それは自分で動くわけではなく、曳航される油槽船(被曳航油槽船)でした。これが成功したことで武智丸が建造されることになりました。そしてこの武智丸は自分で動くことができるちゃんとした(?)輸送船だったということで、ホントに驚きです。

なぜ防波堤に?

戦争が終わった昭和22年当時、安浦漁港には防波堤がなく台風のたびに被害が発生。そこで役目の終わっていた武智丸を防波堤として据え付けることになりました。昭和48年に撤去の話もあったそうですが、コンクリート船ということでしょう強固なため、保持され今現在も防波堤として活躍しています。

防波堤入口近くに説明のための看板が設置されていました。

安浦港のコンクリート船 武智丸の看板

防波堤になっている武智丸

安浦港のコンクリート船 武智丸

これが防波堤になっている武智丸です。画像で手前のほう(国道側)が第一武智丸、奥(海側)が第二武智丸でお互い船尾を向けています。コンクリート船なんてものも珍しいし、船が防波堤になっていることも多くないので意識してみないと気付くこともありませんが、こうやってあらためてよく見てみると、その形は船そのものとわかるのではないかと思います。

第一武智丸

安浦港のコンクリート船 第一武智丸

第一武智丸の船尾側から見ています。気持ち傾いているような・・・

第二武智丸

安浦港のコンクリート船 第二武智丸

こちらは第二武智丸を船首側から見たもの。こちらは傾いているような感じはしませんでした。

安浦港のコンクリート船 第二武智丸の船首内部

第二武智丸の船首内部です。船の骨格というものはよくわかりませんが、なんとも重厚なコンクリートです。こんなコンクリートの骨格を持っているものが浮くということ自体がとても不思議・・・ ちなみに置いてあるものは、漁業で使う道具らしいです。

安浦港のコンクリート船 第二武智丸の船尾内部

第二武智丸の船尾内部です。奥にものすごく太いコンクリートがまっすぐおっ立っています(^^;。土がたまり雨が降り、そうして草が生えているというところが、防波堤となってとても長い年月が経っていることを思わせます。

安浦港のコンクリート船 第二武智丸の内部

第二武智丸の船倉(?)を覗いてみました。見ての通り、海水が入っています。また、船の骨格がわかります。

これからも「水の守り神 武智丸」

安浦港のコンクリート船武智丸 水の守り神

ということで、防波堤になっているコンクリート船「武智丸」を見てきました。手すりつきの通路や看板など大切にされているんだなって。呉市産業部観光振興課が作成している「くれナビ」でも紹介されていますので、観光資源としても考えられているのでしょう。ただ、明らかに人間の排泄物と思われるモノが異臭をはなっていたりしていたのはどうなんだろう・・・ もちろん、それははこの防波堤を大切に思っている人がしたわけではないでしょうが、ちょっと残念でした。

何にしても第二次世界大戦時の船なんてほとんどなくなってしまっています。そんな中、コンクリート船というなんとも珍しいものを本来の役目とは異なっている状態なわけですが、こうやって近くで見ることができるということ自体すごいことだと思います。機会があれば、ぜひ見てみてください(^-^)。

このページの公開日:2008.11.29

コンテンツメモ

  • 訪問日:2008.11.22
  • 場所:広島県呉市
  • 行程:国道2号 - 県道34号 - 国道185号
  • EOS 40D + EF-S17-85 F4-5.6 IS USM

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