安芸の国から

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旧帝国海軍:潜水学校探知講堂

6月3日に大竹市にある旧日本海軍潜水学校探知講堂のモニュメントを観に出かけました。このモニュメントの存在を知ったのは、5月25日付の中国新聞記事。港湾事業の目的のひとつとして整備されている緑化公園にモニュメントができたというものでした。

大竹潜水学校探知講堂モニュメント

海軍潜水学校

大竹に潜水学校があったのは知っていたのですが、大竹市のホームページに書かれていたQ&Aで、現在は当時の施設は何も残っていないと思っていました。ネットで調べてみると、この探知講堂は2008年秋から冬にかけて撤去され、その一部がこのようにモニュメントとして残されることになったようです。

大竹潜水学校探知講堂モニュメント3

モニュメント横に「旧日本海軍潜水学校探知講堂」として説明板がありました。

大竹潜水学校探知講堂モニュメントの説明板

昭和15年12月、旧日本海軍の呉海兵団大竹分団が大竹に開設され、昭和16年11月に大竹海兵団として独立しました。さらに、昭和17年11月には海軍潜水学校が呉から大竹へ移転し、潜水艦の乗組員を養成するための訓練が行なわれました。

地方港湾大竹港港湾整備事業により、現在緑地となっているこの場所は、以前は海で、昭和17年に建築された探知講堂(正式名称:電測水測講堂)がありました。探知講堂は15本のコンクリート製の柱で支えられて海上に立つ特異な構造で、潜水艦の乗組員が艦船のスクリュー音を聞き分ける訓練が行われていたと伝えられています。

海軍潜水学校が大竹にあったことをしのぶため、探知講堂の一部を切り取り、モニュメントして整備しました。

外観として載ってる写真をトリミングしたのがこちらの写真。なんとも不思議な・・・ というよりも奇妙な建物です。この探知講堂の床に穴があいていてそこからソナーを降ろして艦船のスクリュー音を聴き分ける訓練に使われていたそうです。

大竹潜水学校探知講堂モニュメントの説明板にある探知講堂写真を拡大

さて、この潜水学校ですが、説明板にも記されている通り潜水艦の乗組員を養成する学校(教育機関)です。1920年(大正9年)に呉に開校されましたが、1942年(昭和17年)にこの大竹に移転しています。翌年1943年(昭和18年)に呉潜水戦隊(≒老朽化した潜水艦で練習するための部隊)が編成されました。

大竹潜水学校探知講堂モニュメント2

太平洋戦争末期の1944年(昭和19年)になると、特殊潜航艇の訓練を目的とする山口県柳井市に柳井分校が設置されました。基礎教育を終えた予備学生や甲種飛行予科練習生たちが大竹の潜水学校で潜水艦の基礎を、柳井分校で特殊潜航艇(蛟龍・海龍)の基礎を学んでいたのです。

1945年春になると、米軍が敷設した機雷のためにこの大竹での実習が難しくなり、石川県の穴水町に七尾分校を設立し移転しました。下記のアジア歴史資料センター資料によると、終戦時、この大竹潜水学校には四隻の潜水艦(伊153潜 / 伊154潜 / 呂59潜 / 呂67潜)がいたようです。

この緑地公園、新聞記事によると正式オープンはトイレの整備も完了する秋とのこと。出かけた日も駐車場は入ることができないようになっていました。「どうせならば探知講堂をそのまま残せばよかったのに」というのは無理にしても、潜水学校について他にも残された資料があるのであれば、あわせて展示するような建物でもあればいいのに・・・ と感じますが、人が集まるようなものでもないでしょうしナカナカ難しいのでしょうね。

参考にした書籍・資料

このページの公開日:2011.06.05

コンテンツメモ

  • 訪問日:2011.06.03
  • 場所:広島県大竹市
  • 行程:国道2号
  • EOS 7D + EF-S 17-85 F4-5.6 IS USM

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