安芸の国から

安芸の国に暮らすおじさんのお出かけ記録です

海上自衛隊:呉地方総監部第1庁舎の一般公開_2015年

1月18日は久しぶりに旧呉鎮守府(呉地方総監部)へ。はじめて見学したのが2008年2月、昨年「呉・江田島・広島 戦争遺跡ガイドブック」(著:奥本 剛氏)に記されていた「地下防空指揮所の入口」がどこにあるのか気になって出かけたのですが、そのときはわからず。今回リベンジとなったのでした。決して「艦これのアニメがはじまったので」という理由で再訪したのではありません(笑)。

海上自衛隊 呉地方総監部第1庁舎 青山門から

見学者は私だけ(^^;(汗)

午前中の一般公開へ参加したのですが、10:30開始直後ではなく次の回(11:00ぐらいだったかな?)に参加。やはり開始直後と違って人数も少なく... というか、私だけでした(^^(^^;。案内をしてくれる自衛官の方とともに呉地方総監部第1庁舎へ向かいます。

途中「呉・江田島・広島 戦争遺跡ガイドブック」のコピーを見ていただきながら「この地下防空指揮所の入口はどこですか?」と質問。場所がわかったらしく、案内してくれることになりました。リベンジ達成できそうです(嬉)。

海上自衛隊 呉地方総監部第1庁舎 玄関ホール

そして呉地方総監部第1庁舎。これまで2回参加したときには見学者もそこそこいて、私自身は入ることがなかったのですが、今日は私だけなので玄関内へ。やはり厳かな雰囲気です。入口右側には呉地方総監、そして呉地方総監部 幕僚長、呉地方隊 先任伍長の写真も。

そして次の建物へ。ここで見学者2人(3人?)が増えました。

海上自衛隊 呉地方警察隊本部

写真の右側が最も古い建物だそうです。今は呉地方警察隊本部として使用されています。そして左は諜報の仕事をしている部署が使っている建物ということでした。「諜報といってもスパイじゃないけど(^-^)」と。合法的に情報収集・分析を行なっているということでしょうね。

続いて海側へ。

海上自衛隊 呉地方総監部 大階段

こちらは明治天皇のために準備された階段。ただ、実際はスロープを馬車であがってこられたので明治天皇が使われることはなかったそうです。階段横に見えるコンクリの建物(松の向こう側です)が太平洋戦争時の地下司令部。今は倉庫として使っているらしい。地下にはこの地下司令部だけでなく、多くの坑道があったそうです。たしかに地下工場とか多かったようですからね。

海上自衛隊 呉地方総監部 地下への入口

この写真の出っ張ってるとこもそんな地下への入口だったと。ここには、こういった地下への出入口が多く存在するらしい。しかし、今は耐震性の点などから坑道はすべて埋められたそうです。

そして遂に私の今回の目的へ。地下防空指揮所への入口です。

海上自衛隊 呉地方総監部 地下防空指揮所への入口

海側からの庁舎への入口玄関左にそれはありました。案内をしていただいた自衛官の方も中には入ったことがないとのこと。最初にコピーを見ていただいたときも場所がわかるまでにちょっと間があったように感じたので、マイナーなポイントなのかもしれません。

今回の見学、これまで3回の中で最も楽しいものでした。人数が少なかったことと、案内していただいた自衛官の方のおかげ(^-^)。ありがとうございました。見学を検討している方、人数が少ないであろう開始直後ではない回をオススメします。

おまけ:入渠中の護衛艦「いせ」

この日は大和ミュージアム横の駐車場に車をとめて歩いていました。呉地方総監部の見学のあとは坂道をさらにあがって... 入渠中の護衛艦「いせ」です。

入渠中の護衛艦「いせ」

やはり大きいなぁ... といっても、全長:197mというサイズは呉海軍工廠で建造された空母赤城(260m)はもちろん、中型空母の蒼龍(227.5m)よりも短いんですよね。もちろん、現在の空母(たとえば横須賀の米空母とか)はもっと大きいわけですが、太平洋戦争当時の正規空母よりも小さな「いせ」はやはり強襲揚陸艦というのが正しいのではないかと思います。もっとも、それはおおすみ型輸送艦のほうが適切なのかもしれませんが(いろいろと足りないところがあるのは承知の上です。あくまでイメージという話)。

このページの公開日:2015.01.19

コンテンツメモ

  • 訪問日:2015.01.18
  • 場所:広島県呉市
  • 行程:国道2号 - 国道31号
  • X30

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