安芸の国から

安芸の国に暮らすおじさんのお出かけ記録です

旧帝国海軍:東山防空砲台

周南市緑地公園の西緑地に戦争遺構を観に出かけました。この公園には5年ほど前に来たことがあるのですが、当時はこの公園に戦争遺構があることは知りませんでした。数日前に公園愛護会の方々がこの戦争遺構の保存に尽力されているという記事をネットで読んで知り、出かけてみたのです。下の写真にある案内板もその方々が作成し設置したものです。

戦争遺構(砲台跡、防空指揮所)への案内板

徳山燃料廠を護るための防空砲台のひとつ

太平洋戦争当時、徳山には海軍の燃料廠(第三海軍燃料廠)がありました。その徳山海軍燃料廠を米軍の攻撃から護るためにいくつもの防空砲台が作られています。現在この西緑地となっている近辺には高角砲を2基もつ東山防空砲台が設置されました。終戦近く(1945(昭和20)年5月)に東山防空砲台に配備されていた主な兵器は次のものです。

  • 十二糎七連装高角砲(高角砲台) x 2基
  • 十三糎単装機銃(防空機銃砲台) x 1門
  • 百十糎探照燈 x 1基

西緑地では東山防空砲台の遺構をいくつか見ることができます。最初に防空指揮所跡。

防空指揮所入口
防空指揮所入口を望む

防空指揮所はもともと別の場所にあったのですが、1945(昭和20)年5月10日の爆撃機B29など延192機による徳山海軍燃料廠や大浦油槽所などへの空襲で通信機能を喪失。14日(8時)に徳山電話中継所に応急設置しています。その後、新しい防空指揮所を東山に設置するために5月17日に作業(隧道作業)着工、5月30日に30/100完了しています。その防空指揮所跡と考えられています。

十二糎七連装高角砲の砲台跡へ。

防空砲台跡

窪みがあるだけで、ここではコンクリートの土台といったものは見つけることができませんでした。近くに公園愛護会による防空砲台跡の説明があります。

太平洋戦争末期に(1944年)設置された砲台で東山には連装高角砲2基が設置されていた
士官1人・準士官2人・下士官、兵71人の陣容だった
何度か射撃したが、戦果は無かった様である

もう1基が設置されていたのは現在の西緑地内ではなく、すでに別の施設が建っています。その跡を見ることはできません。

続いて探照灯跡へ。

探照灯跡
探照灯土台跡

ここにも公園愛護会の方による説明板があります。

探照灯跡
この台座には110mm探照灯が設置されていた
太平洋戦争末期(1944年)に、ここより北へ、およそ290m地点に設置された連装高角砲(大砲)の探照灯(サーチライト)、として敵機を照射していた
(92式2型、固定式、有効照射5000m)

この説明にある連装高角砲が上の砲台跡にあった防空砲台のことですね。

この探照灯跡の近くにもうひとつ遺構があります。

管制機陣地跡(と考えられている)
管制機陣地土台跡(と考えられている)

確認ができていないためでしょうか、他の遺構のように説明板はありませんが、管制機陣地跡と考えられているものです。

公園愛護会の方が最初の写真にある案内板や、それぞれの遺構にある説明板を設置していることを記しました。しかしそれだけでなく、遊歩道の草刈り、そして防空指揮所を藪の中からみつけたのも公園愛護会の方だったりします。街中にある戦争遺構ということで、西緑地の京大の樹木見本園とあわせて子供たちへの教材としたいそうです。市民の憩いの場となっている公園にある戦争遺構、もっと多くの方に知ってもらいたいと思います。

参考にした書籍など

このページの公開日:2015.11.29

コンテンツメモ

  • 訪問日:2015.11.28
  • 場所:山口県周南市
  • 行程:広島岩国道路
  • X-T10 + XF18-55mmF2.8-4 R LM OIS

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