旧帝国海軍:阿多田交流館の回天
14日に山口県平生町にある阿多田交流館へ出かけました。阿多田交流館には今秋公開予定の映画「出口のない海」(原作:横山秀夫氏)で使われた回天のレプリカがあるのです。廿日市ICから玖珂ICまでが高速、その後は一般道でしたが1時間程度でたどり着くことができました。
阿多田交流館の回天
阿多田交流館です。入口横に回天のレプリカがあります。入り口に小さく写っている人と比較するとその大きさが想像できるのではないかと。寄ってみます。
想像していた以上に大きいです。ところで大和ミュージアムで回天をみたことがある方の中には、こんなに大きくなかったと感じられるかもしれません。それは大和ミュージアムにあったのは回天十型、こちらは回天一型と同じ回天でも異なるものだからです。
太平洋戦争末期、実際に人間魚雷として使われたのはこの回天一型です。全長は14.5m、重量8,300kg、推進機関を93式酸素魚雷とし、頭部炸薬量は1,550kg。一発当たればどんな艦船でも撃沈できるといわれていました。
その回天による特攻作戦が実施されたのは1944年11月の菊水隊にはじまり、終戦までの9ヶ月間。出撃搭乗員は延べ148名、回天を搭載した潜水艦は延べ32隻、回天作戦による戦没者は1299名だったそうです(参考:ザメディアジョン「人間魚雷回天」)。
阿多田交流館の回天に関する資料
模型などのほかにも隊員だった方のいわゆる遺書や遺品、当時の資料などたくさんありました。
出撃前に残した手紙などを読むと私なりにいろいろと感じること、考えることがありました。私などが想像できない時代だったと思いますが、若者が国のことを思い必死の攻撃をする・・・ それが戦争というものと言ってしまえばそうなのかもしれませんが、国力の差が歴然としているアメリカに対してそんな消耗戦になるまで戦争を続けていたというのはどうなんだろうと。本土決戦までいっていたら、今の日本はかわっていたと思います。
回天の基地
ちょっとらしくない文章となってしまったので、当時の回天基地について書いておこうと思います。
まずは「どうして山口県の平生に回天の資料があるの?」ということになるかと思いますが、回天の兵器採用が決まったときに山口県の瀬戸内海を中心として4つの回天訓練基地がつくられました。それが大津島、光、平生(これらが山口県)、大神(大分県)なのです。当時の平生訓練基地は下のようになっていました。
回天以外にも蛟龍・海龍の訓練基地があったようです。
この平生基地に所属していた隊員も9人の隊員が亡くなりました。3人が訓練中、5人が戦場で、そしてもうひとりは隊長が終戦後8月18日に自決。自決した隊長は自分がのっていくことになっていた回天のところで拳銃を使って自決したそうです。隊長といっても年齢は20代前半・・・
・・・やはり考えさせられることが多いですね。
回天に関連する書籍
私が読んだ回天に関する書籍です。
回天といえば、「出口のない海」でその存在を知った方も少なくないと思います。もし、より回天について興味を持たれたならば、上の「回天特攻学徒隊 回天は優れた兵器ではなかった」を読んでみてはどうでしょうか。回天について、また搭乗員についてより知ることができるでしょう。
このページの公開日:2008.10.14