旧帝国海軍:大入魚雷遠距離発射場
5月22日、呉市阿賀にある大入魚雷遠距離発射場跡に出かけました。この日、最初は「久しぶりにSLやまぐちを撮りにいこう」と思っていたのですが、天気予報によると午後から天気が崩れるとの予報... 「では、近場で」と思い直して出かけたのがこの大入魚雷遠距離発射場跡。2つにはまったくつながりがありませんが、そんなことは気にすることなく(笑)。
大入魚雷遠距離発射場跡
ということで、大入魚雷遠距離発射場跡です。海軍では開発した魚雷をこの大入で発射試験をしていました。より射程の長い93式魚雷が開発されてからは大津島が93式魚雷の発射試験場となりました。
続いて岸から突堤までを。
現在グレーの大きな建物があるところには、当時第三魚雷調整所、魚雷調整場、魚雷納庫準備場、充電並調整所、作業所、工員会食場、倉庫、などの建物がありました。
この突堤までの橋は当時のものではなく、つけかえられたものです。
この突堤はアジア歴史資料センターの資料によると「魚雷試発射場並通路突端」となっています。ここには上家と観測所がありました。今はありませんが、昭和40年代に倒壊してしまったそうです。
反対側からみてみます。橋の中間ぐらいに台形の形をしたコンクリートが2つあるのがわかります。これは揚収装置上家の土台だと思います。
この大入魚雷遠距離発射場は回天試作機の航走試験が行なわれた場所でもあります。昭和19年7月に考案者の一人黒木博司大尉(当時)自身が試作された回天に乗り込んで航走し成功しました。兵器に採用が決まり、乗組員の訓練が行なわれた基地のひとつが93式魚雷の発射試験場があった大津島です。
黒木大尉は兵器としての人間魚雷(回天)を実現するために、この大入魚雷調整場をたびたび訪れていたそうです。マル六金物として開発がはじまり、試作にこぎつけて自ら試走... ここが太平洋戦争末期にそういったことが行なわれた場所だと思うと、考えさせられるものがあります。
大入魚雷遠距離発射場跡の場所
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大入魚雷遠距離発射場跡の場所です。離合ができないほど狭いところは一部を除きありませんが(そこは、信号でほぼ一方通行となっています)、見通しがよくないと感じるところは結構ありました。海が見えたりして運転も気持ちいいですが、注意するようにしましょう。
おまけ:アレイカラスこじまのそうりゅう型潜水艦
大入魚雷遠距離発射場跡に向かっているとき、アレイカラスこじまにそうりゅう型潜水艦が停泊しているのが見えたので、帰りに立ち寄ってみました。
船尾に見えるX舵からそうりゅう型潜水艦とわかります。ただ、コイツが1番艦の「そうりゅう」なのか、3月に竣工した2番艦「うんりゅう」なのかの区別は私にはつきません(苦笑)。
参考にした書籍・資料
参考にした書籍、資料です。
- 呉・江田島・広島戦争遺跡ガイドブック / 奥本剛(光人社)
- JACAR(アジア歴史資料センター) Ref.C08010961600(第23画像目から)、呉海軍工廠 引渡目録 1/8(防衛省防衛研究所)
このページの公開日:2010.05.28