安芸の国から

安芸の国に暮らすおじさんのお出かけ記録です

旧帝国海軍:平生の回天碑

10月16日、平生にある回天碑を訪れました。これまで大津島の回天記念館にある回天碑と光にある回天碑は訪れていたのですが、平生のものは訪れたことはなかったのです。というのも、これまで今イチ場所がわからなかったのですが、この日は阿多田交流館の方に教えていただき、無事に訪れることができたのでした。

海が見える場所にある回天碑

その碑は若者たちが訓練をした海を見ることができるところにありました。碑文を記します。

平生の回天碑

神啾鬼哭回天の壮挙 若き生命南海に挺し 莞爾として皇国に殉ず 悵恨戦い時に利非ず 山河むなしく桑滄の変 さわれ至誠盡忠の赤心 日本民族の血脈に漲り 昭々無極の後世に輝く 碑を発祥の地に建立し 粛然久遠の霊を祀る

昭和三十四年七月十八日

桑原用二郎

碑のそばには回天碑の説明が書かれていました。あわせて記しておきます。

昭和二十年(一九四五年)桜の蕾がふくらむ三月から、ここ阿多田の先端部に「回天」の出撃、訓練基地が開設されました。基地では十八歳にも満たない下士官や二十歳代前半の青年士官たちが、国を護るため一身をなげうち、日夜猛訓練に明け暮れていました。

「回天」という言葉は、「衰え行く国の勢いを元にかえす」という意味があるそうです。この特攻兵器「回天」(全長十五m、直径一m、速力三〇ノット時速換算五十六km)は、「人間魚雷」と呼ばれ、当時、世界に誇った九三式魚雷を基に考案されたものです。先端部に爆薬(一・五五トン)を充填し、中央部の搭乗員席には一人の隊員が搭乗して、回天を操縦しながら敵の艦船に体当たりするという、”必死の兵器”でした。

訓練は、初期段階は平生湾の往復でしたが、その後、雑石瀬戸を出て牛島・馬島・叶島を三角点とする海面で行なわれました。航行している船舶に対する襲撃訓練や、総長あるいは薄暮に、主に潜航を主体とし、ときおり浮上して視認観測をしながら目標艦に突入するという厳しい訓練であったといわれています。

昭和二十年七月十八日、この平生基地から、伊号第五八潜水艦に回天六基が搭載され出撃、沖縄海域で五名の若者が突入し散華されました。その他、猛訓練中に三名の隊員が殉職、終戦直後に一名が自決されました。

こうして昭和二十年八月将来を嘱望された若者の尊い命を奪った悲惨な戦争は終わり、やがて日本は奇跡的にも国勢を回復し、平和を享受してきました。これはみな先人達の尊い犠牲の賜であり、ここにあらためて感謝の誠を捧げつつ、腎性最後の地となったここ阿多田の地より心からご冥福を祈念するものです。

昭和三十四年七月、この地に平和の大切さを後世に語り継ぐために碑が建立されました。この回天碑は、松庫海事(株)の当時の谷 光司工場長により会社の敷地内に建立され、その後松庫工業(株)・平生興業(株)関係者にて大切に管理されてきました。今回平生港湾改修事業の為、移設を余儀なくされ、平成十六年十一月、「平生回天会」の寄付並びに関係者のご協力によってここに修復移設されたものです。

なお、大竹潜水学校平生分校には回天基地と隣接して、主に特殊潜航艇の「蛟龍」や「海龍」の訓練基地もありました。

平成十六年十一月吉日

平生町観光協会

平生町

碑には回天の模型が供えられています。また、この写真ではわかりにくいのですが、平生回天基地で亡くなった隊員たち9名の名前も刻まれています。このうちの1名が碑の説明にもある終戦直後に自決した橋口寛大尉です。橋口寛大尉については旧帝国海軍:再び人間魚雷回天の基地、大津島で、記していますのでお読みいただければと思います。

平生基地の施設跡

こちらは碑近くにある基地の施設跡です。基地内でどのように使われていたのかは不明ですが、扉前にコンクリの防護壁があることから想像すると、それなりに大切な場所だったのではないのかとも。

平生町歴史民俗資料館の回天二型

続いて平生町歴史民俗資料館に立ち寄りました。ここには回天二型の一部が展示されています。説明文によると、この回天二型は光市の武田薬品敷地(旧光海軍工廠跡地)から発掘され、光市甲飛会から借用しているそうです。回天二型は実戦に使われることはありませんでした。

平生町歴史民俗資料館の回天二型 1
平生町歴史民俗資料館の回天二型 2

ここに展示されているのはハッチや操縦席の部分です。それにしてもなんという狭さ。実際は複雑な操縦機器があったのでもっと狭かったことでしょう。加えてこの二型の直径は1350mmなのですが、実戦に使われていた一型のそれは1000mmとさらに小さい・・・

こんな狭い空間で、外界との接点は小さな特眼鏡のみという世界。必死の出撃をするときはもちろん、そのための訓練をしているときも若者たちはこの世界で何を想い、考えていたのでしょう。そんなことを感じながら帰途についたのでした。

コンテンツメモ

  • 訪問日:2010.10.16
  • 場所:山口県平生町
  • 行程:山陽道 - 県道70号 - 国道188号
  • EOS 7D + Tamron SP AF 17-50mm F/2.8 XR DiII VC

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