安芸の国から

安芸の国に暮らすおじさんのお出かけ記録です

旧帝国海軍:広海軍工廠・第11海軍航空廠の遺構

とても暖かかった6日、この日も呉に出かけました(^^(^^;。この日出かけたのは、広。広には広海軍工廠、第11海軍航空廠がありました。

広海軍工廠・第11海軍航空廠とは

広海軍工廠は、1921年に呉海軍工廠広支廠として開設。その後1923年に独立し、広海軍工廠に。さらに1941年に広海軍工廠内の航空機部が独立し、第11海軍航空廠が設置されました。しかし、1945年5月5日のB-29約150機の集中爆撃により広海軍工廠・第11海軍航空廠ともに壊滅的な被害を受け、広海軍工廠は第11海軍航空廠に吸収されました。

そんな広には当時の戦争遺構が残っています。今回は県道279号沿いにある遺構を訪れました。

第11海軍航空廠 門柱跡

第11海軍航空廠 門柱跡1
第11海軍航空廠 門柱跡2

国道185号から県道279号に入り、しばらくすすんでいくと旧産業技術総合研究所中国センター敷地内に見えるのがこの第11海軍航空廠の門柱跡。第11海軍航空廠は海軍最大の航空機エンジン開発・製造拠点でした。

第11海軍航空廠 第五号隧道

第11海軍航空廠 第五号隧道1
第11海軍航空廠 第五号隧道2

参考資料に記したアジア歴史資料センター資料を見ると、第五号隧道・・・ だと思います(汗)。上の写真ではちょっとわかりにくいかもしれませんが、3つ並んでいます。下の写真は手前のものを写したものです。

第五号隧道は入口が5つあるようなので、他に2つあったのかな。また、これらは奥で横につながっていたようです。

第11海軍航空廠 グラマンによる掃射跡

第11海軍航空廠 グラマンの掃射跡

壁面に多くの穴があいています。これらはアメリカ軍グラマン戦闘機の掃射によるもの。広海軍工廠・第11海軍航空廠が壊滅した1945年5月5日の空襲では、多くの方が亡くなりました。

第11海軍航空廠 第十七号隧道と第十六号隧道

第11海軍航空廠 第十七号隧道1
第11海軍航空廠 第十七号隧道2
第11海軍航空廠 第十六号隧道

さらに長浜方面にすすみ、坂道を上がりきったところで見えるのがこの隧道。一番上のものが第十七号隧道、もっとも下のものが第十六号隧道。真ん中のものは上写真のもっとも奥にある第十七号隧道。車庫として使われているようでした。

坂道を下っていって長浜港のほうへ向かいます。

第11海軍航空廠 第二十三号隧道

第11海軍航空廠 第二十三号隧道1
第11海軍航空廠 第二十三号隧道2

まず見つけるのが第二十三号隧道。下の写真では2匹のネコが私の様子をうかがってます(^^(^^;。

第11海軍航空廠 第二十号隧道~二十二隧道

第11海軍航空廠 第二十号隧道
第11海軍航空廠 第二十一号隧道
第11海軍航空廠 第二十二号隧道
第11海軍航空廠 第二十二号隧道

上から第二十号隧道、第二十一号隧道、第二十二号隧道。一番下は第二十二号隧道をまわりも含めて。

この近辺には、ほかにも隧道だけでなく(載せていない隧道もあります)、砲台跡などの戦争遺構も存在します。また、広高校そばの工僚神社(広海軍工廠・第十一海軍航空廠にて勤務中に殉職、戦死した者の霊を祀っています)では、空襲があった5月5日に慰霊祭を行なっているとのこと。この日は辿り着くことができなかったのですが(苦笑)、機会を見つけて出かけてみたいと思います。

工僚神社に加えて「辿り着くことができなかった」のが第十一海軍航空廠の地下工場跡・・・ 阿賀南の冠崎地下工場跡、警固屋の長郷地下工場跡ともに場所がわかりませんでした。県道66号をどこからはずれればいいのだろう(+_+)。こちらについては、もう少し調べてからまたチャレンジしたいと思います。

参考にした書籍・資料

このページの公開日:2011.02.09

コンテンツメモ

  • 訪問日:2011.02.06
  • 場所:広島県呉市
  • 行程:国道2号 - 国道31号 - 国道185号
  • EOS 7D + EF-S 17-85 F4-5.6 IS USM

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