安芸の国から

安芸の国に暮らすおじさんのお出かけ記録です

大和ミュージアム:甲標的 操縦室内部セット

12月10日にNHKで放送された「真珠湾からの帰還~軍神と捕虜第一号~」の撮影に使われた甲標的内部のセットが大和ミュージアムで展示されているということを知り、早速観に出かけました。

甲標的模型 1

甲標的による真珠湾奇襲攻撃

最初に甲標的を知らない方のために全体を。甲標的の概要については、3年前にP基地に出かけたときのページを見ていただければと思います。

下の写真は江田島の第一術科学校の甲標的甲型。真珠湾攻撃に参加した5隻のうちの1隻です。太平洋戦争後にアメリカ軍により発見・引き揚げられ、この江田島でこのように展示されています。甲標的を一言で表現するならば「先端部に魚雷を2本持つ小型の潜航艇」です。

江田島第一術科学校の甲標的

展示されている内部セット前にあった甲標的甲型の説明です。

甲標的甲型は、敵の戦力を漸減される新しい作戦に基づき、開発された最初の特殊潜航艇です。昭和15(1940)年から呉海軍工廠魚雷実験部にて最初の量産型が完成し、昭和17(1942)年からは大浦崎に量産工場、整備工場、訓練基地が整備され、本格的な量産が開始されました。

昭和16(1941)年12月8日の真珠湾奇襲攻撃では、甲標的甲型が5基投入されましたが、そのうちの1基はアメリカ軍に捕獲され、戦時国債募集のキャンペーンのためアメリカ全土を巡回しました。呉海軍工廠では、やがて甲標的乙型、丙型と改良され、大型化された丁型は「蛟龍」として「海龍」「回天」の増産とともに呉海軍工廠ほかで大量生産されました。

この説明にある捕獲された1基というのがこのドラマの主人公である酒巻少尉が艇長として搭乗していた甲標的です。内部セットに近づいてみます。

甲標的模型 正面から

真珠湾攻撃に使われた甲標的甲型は2人乗りとなっており、艇付が操舵などを行ない、艇長が指揮および索敵を行います。舵輪のところに艇付が、特眼鏡のところに艇長が位置することになります。

甲標的模型 操縦席周り

左舷側です。水色のものは界磁調整器、その後ろのゲージがついているものは放電計です。

甲標的模型 操縦席の反対側

そして右舷側。特眼鏡を昇降させるための機器や無線機などが取り付けられています。

甲標的模型 操縦席正面

このセットは操縦室のみとなっています。実物もこのように操縦室の前後は扉で仕切られているのですが、操縦室の前後はともに蓄電池室となっています。

酒巻艇は転輪羅針盤(ジャイロコンパス)が故障していました。つまり艇内では自分がどこに向かって進んでいるのかわからず、わかる手段は特眼鏡のみ。その特眼鏡は少しの波浪でも視界が効かなくなるなんて代物・・・ ただでさえ港湾攻撃なんて向いていない甲標的(たとえば小回りが効かず旋回するために450m程度必要)が、眼が見えないのと同じ環境で真珠湾内に突入し、かつ攻撃を成功させるというのは万が一の可能性すらあるとも思えません。

酒巻艇を搭載した伊24潜水艦では発進の可否について話し合いが行なわれましたが、結局ジャイロコンパスが故障しているにも関わらず発進しました。蛟龍艇長だった植田一雄氏が戦後に酒巻氏に何故「(発進が)駄目です」と答えられなかったかを聞いており、そのときに酒巻氏は「仕方がなかったんだよ」と暗然として答えられれ、その顔が忘れられないと語っています。

内部セットとは話がそれてしまいましたが、こういったドラマや展示物から現代では想像することもちょっと難しいような時代があったということを知り、若者たちがどのように考え行動したのかということを考えることが大切なんだと思います。

コンテンツメモ

  • 訪問日:2011.12.17
  • 場所:広島県呉市
  • 行程:国道31号
  • EOS 7D + SIGMA 18-125 F3.8-5.6 OS HSM / EOS 7D + EF-S 10-22 F3.5-4.5 USM

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