海上自衛隊:ペルシャ湾掃海派遣部隊の航跡
10月の一ヶ月の間、てつのくじら館で平成24年度特別展示「ペルシャ湾掃海派遣部隊の航跡」が開催されています。10日ほど前のことになりますが、開催されて間もない10月3日に早速観に出かけました。
展示されていたのは部隊・隊員へのお手紙
最初にペルシャ湾へ派遣された掃海部隊の編成は次のようになっていました(階級は平成3年11月1日現在)。掃海母艦1隻、掃海艇4艇、補給艦1隻、乗組員は511名という部隊です。
配置 | 階級 | 氏名 | 乗組員数 |
---|---|---|---|
指揮官(司令部) | 1等海佐 | 落合 畯 | 50名 |
掃海母艦 はやせ艦長 | 2等海佐 | 横山 純雄 | 146名 |
第14掃海隊司令(隊司令部) | 2等海佐 | 森田 良行 | 3名 |
ひこしま艇長 | 3等海佐 | 新野 浩行 | 44名 |
ゆりしま艇長 | 3等海佐 | 梶岡 義則 | 43名 |
第20掃海隊司令(隊司令部) | 2等海佐 | 森田 良行 | 3名 |
あわしま艇長 | 1等海尉 | 桂 眞彦 | 44名 |
さくしま艇長 | 3等海佐 | 田村 博義 | 43名 |
補給艦ときわ艦長 | 1等海佐 | 両角 良彦 | 135名 |
この部隊で沈底機雷21個、係維機雷13個、合計34個の機雷を処分しました。それにしても、決して大きくはない掃海艇が日本から遠く離れたペルシャ湾へ行くだけでも大変なこと。そういった環境のもとで、すべての艇が任務を全うしたというのは乗組員はもちろん後方で支援していた方々の能力に感嘆します。
ペルシャ湾に掃海艇部隊が派遣されたのは1991(平成3)年のこと。当時の私は今ほどに自衛隊という組織やその活動にコミットしていませんでしたが、それでも「なぜ有する能力をもって国際社会に貢献することに反対するのだろう?」「反対する者は何を考えているのだろう」と感じたのを覚えています。
加えて派遣される部隊はいわゆる兵装も丸裸な状態(掃海艇に機銃はありますが、機雷を破壊するためのもの)。派遣先は停戦したとはいえ、まったくの平時とは異なります。ある意味、何か起きるかもしれない環境です。活動について反対する国民が少なくない、そして自身を守る武器も持って行くことができない... 派遣される隊員はもちろんそのご家族、この任務に関わった方々の気持ちを考えると、どうにかすることができなかったのかと感じます。
しかし、ここに展示されているお手紙や色紙は、そういった隊員の方々へ向けて仕事への激励や大きな感謝の文章。日本から遠く離れたペルシャ湾での危険を伴う掃海作業は私たちが想像できないほどに大変なこと。
手紙を読む隊員たちの写真もありましたが、なんとも表現しがたい表情をされていました。こういった気持ちを実際に届けることによって、現場の隊員たちの頑張ろうと思う気持ち、士気が高まることと思います。やはり思っているだけでなく、行動することの意味の大きさを感じないではいられません。
このペルシャ湾での掃海艇部隊の活躍は、自衛隊初の海外任務でした。この後に作られた国際連合平和維持活動等に対する協力に関する法律(国際平和協力法)に基づいて自衛隊が海外派遣されています。
予算は削減され、通常の活動も支障をきたすようになってきている感もなきにしもあらずですが、今後も国際社会から求められる活躍を期待するばかり。そして期待するだけでなく、自分にできることを考えないといけないと感じます。
参考にしたページなど
- 海上自衛隊 掃海隊群 掃海部隊の歴史海上自衛隊50年史から - 湾岸戦争
このページの公開日:2012.10.15