旧帝国海軍:福山海軍航空隊と伊400
先月22日のことですが、福山海軍航空隊の跡地を訪れました。とはいっても、残されている遺構の多くはJFEの敷地内にあるようで近寄ることができません。加えてこの日は幼稚園(保育園?)が運動会を開催しており、カメラを持ってウロウロしていると尋問されそうなのでできませんでした(汗)。そんなわけで隊門だけです(苦笑)。
福山海軍航空隊と晴嵐
アジア歴史資料センターにある福山海軍航空隊の位置明示図を見ると、この隊門の向こうには兵舎などがあったようです。飛行機の格納庫などがあったのは現在JFEの駐車場となっているほうでしょうか。当時の海岸線はこの福山海軍航空隊があった場所でした。水上機の基地であったため、同資料では滑走台といった施設も見られます。
そんな福山海軍航空隊の略歴を記します。
- 1943 (昭和18)
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民間の水上機搭乗員教育所として開設される
- 1944 (昭和19)
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呉鎮守府に所属する詫間海軍航空隊の福山分遣隊となる
- 1945 (昭和20)
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3月:福山海軍航空隊として独立
4月:呉水上機基地で晴嵐の訓練をしていた六三一空が移転してくる
8月:米軍による空襲を受ける
さて、伊400のことを知っている方はここまで読んでもそれほどの違和感はないかもしれませんが、知らない人にとってみればタイトルにでてくる「福山海軍航空隊」「伊400」「晴嵐」のつながりがまったく見えないでしょう ...知らない人がこのページのこんなところまで読むわけがないという指摘はききません(苦笑)。というわけで(?)、これらがどのように関連しているをカンタンに記します。
「伊400」は太平洋戦争末期に日本海軍が投入した潜水艦。当時世界で最大の潜水艦でした。この伊400に特殊攻撃機を搭載し、隠密裏に敵地に近づきその搭載機により要所を攻撃する運用が考えられていました。この伊400に搭載される特殊攻撃機が「晴嵐」です。晴嵐は伊400とともに運用されることを前提として開発された機体です。そしてこの晴嵐を運用する部隊が六三一空(第六三一海軍航空隊)となります。その六三一空が訓練を行なった基地が福山海軍航空隊です。伊400と晴嵐を使ってパナマ運河を攻撃する計画が立てられていました。
しかし戦争末期には日本には制空権・制海権ともにありません。そんな状況下でパナマ運河攻撃はなくなりウルシー泊地攻撃(嵐作戦)が発動されましたが、攻撃予定日前に終戦を迎えました。そのため伊400型潜水艦および特殊攻撃機晴嵐の戦果といったものはありません。
こういったことから、伊400が気になる私なので一度福山海軍航空隊跡地を訪れてみたかったのです。しかし、最初に記したようにこの日はウロウロすることはできませんでした。遺構の多くはJFE敷地内なので結局見ることはできなかったのかもしれませんが、残念... しかし毎年5月に開催されるJFEフェスタでは会場として使われるので近くに行くことも可能ということを知りました。自衛隊広島地方協力本部のイベントにも載っているJFEフェスタだったので毎年気になっていたのですが、来年は福山海軍航空隊の遺構を求めて出かけてみようと思います。
そんなわけで福山海軍航空隊の遺構は難しいのですが、伊400のものを「てつのくじら館」で見ることができます。
伊400型潜水艦に搭載されていた双眼鏡です。私が伊400絡みで現存しているものはこの双眼鏡ぐらい。
伊400型潜水艦&晴嵐の組み合わせ... 投入される時期が遅かったために活躍の場がありませんでしたが、開戦当初であればまた違ったのかもしれません。その頃にパナマ運河を攻撃することができていれば、また違った太平洋戦争になっていたでしょう。ただ、結果としてはどうやっても日本は負けていたと思いますが(苦笑)。
参考にした書籍など
- JACAR(アジア歴史資料センター) Ref.C08011367300、昭和20年8月31日 引渡目録 福山海軍航空隊 第631海軍航空隊 (①-引渡目録-397)(防衛省防衛研究所)
このページの公開日:2013.07.07