安芸の国から

安芸の国に暮らすおじさんのお出かけ記録です

旧帝国陸軍:歩兵第41連隊

6月15日に福山の歩兵第41連隊兵営跡地を訪ねました。当時の兵営跡地には歩兵41連隊の碑が建立されていたり、当時の門柱が場所を変えたりしながらも残っています。

JA福山にある歩兵第41連隊跡碑と移設された西門

福山にあった歩兵41連隊

そういえば、歩兵第41連隊といえば、二・二六事件に関係する相沢事件(1935(昭和10)年に永田鉄山軍務局長を斬殺した事件)の相沢中佐が事件当時にいた 連隊ですね。

さて、最初に載せるのは兵営跡地の一部のココローズ(緑町公園隣)にある説明看板です。ここが兵営跡地であること、歩兵第41連隊のことが記されています。

福山ココローズにある福山兵営跡地の説明

説明看板にある文を記します。

福山兵営跡地

この地は旧日本陸軍の歩兵連隊「福山兵営」跡地であり、明治41年に歩兵第41連隊が現在の企業誘致の形で広島からこの地に転営し、備後の郷土部隊として福山の発展に寄与し福山市の市制施行のきっかけにもなった。

昭和12年、歩兵第41連隊が支那事変に出動後、兵営は41連隊補充隊として応召兵の教育に使われた。また新たに歩兵141連隊、歩兵第232連隊がこの兵営で新編成された。その他この兵営に駐留した部隊は、西部第62部隊、西部第63部隊、船舶砲兵第1連隊、船舶機関砲第1連隊である。中でも歩兵第41連隊はマレー作戦をはじめ他数の激戦地に赴き、東部ニューギニアとフィリピン・レイテ島において2度全滅したことにより、日本陸軍史上最も酷使された不運の連隊と言われている。

戦後は福山空襲で消失した学校・官庁等が兵舎を利用し、後に広島大学福山分校、広島大学付属福山中・高等学校、福山市役所仮庁舎、緑町公園、そしてサンピア福山閉館後に「ココローズ」がオープンし、兵営跡地は大きく様変わりした。

しかし、この地から多くの若者が出征し多数戦死したその歴史の延長に現在の福山市の発展があることを忘れてはならない。

福山市は昭和55年10月19日にレイテ島タクロバン市と友好親善都市提携を結んだが提携30周年記念に来日されたタクロバン市のクリスティーナ・G・ロマルデス議員によりこの「交流発祥の地」に記念植樹が行われた。

なお、この場所に当時は火薬貯蔵庫があり、兵営を囲う石垣の上には鋭い棘のある「からたち」と、兵営内には「銀杏」が多数植えられていた。

平成22年11月30日

タクロバン福山交流支援センター

顧問 大田祐介

この説明看板は連隊跡地の痕跡がほとんど残っていないことを危惧した大田祐介さん(福山市議会議員)負担で立てられたそうです。

説明にもありますが、ポートモレスビー攻略作戦に参加し東部ニューギニアで全滅寸前に、その後レイテ島で激闘のあとに最後の突撃を行ない玉砕しています。

そして緑町公園へ。ここにも門柱があります。これは将校集会所の門柱だそうです。

緑町公園にある将校集会所の門柱

残念なことに、この門柱について記しているものは見当たりません。

そしてJA福山へ。ここには連隊跡地を示す碑と西門門柱、陸軍病院発祥の地の記念碑があります。

JA福山にある歩兵第41連隊跡碑

碑の裏側には「歩兵第四十一聯隊歴史の概要」が記されていたのですが、ずいぶん薄く(?)なっていて非常に読みにくく(汗)... この碑の隣には西門門柱があります。

JA福山にある移設された西門

よくみると、扉をつけるところがこちらを向いています。ここに設置するときに門柱の向きを間違えたのでしょうか? ということは、この「歩兵第四十一聯隊西門」と記された表札(?)は後付けということになりますね。

そして福山陸軍病院および国立福山病院発祥の地の碑。

JA福山にある福山陸軍病院発祥の地 記念碑

福山陸軍病院は現在の独立行政法人国立病院機構福山医療センターです。

ちょっと歩いたカトリック教会福山にも門柱があります。

カトリック教会福山にある・・・

門柱左にある説明板を記します。

この敷地内は1908年から1945年まで福山憲兵分隊並びに福山連隊区司令部が置かれていた場所で、連隊区司令部の門柱を移築保存したものです。

軍隊の施設が福山にあったことを長く記憶し、反戦への思いを忘れないため、この門柱を保存しました。

教会に日本陸軍の戦争遺構があるというのもどことなく不思議な感がありますが、こうやって保存していこうという考えはとても大切なことだと感じます。

備後護国神社

歩兵第41連隊跡をまわったあとに備後護国神社を訪れました。写真は西門から望んだものです。

備後護国神社

はじめて訪れたのですが、慰霊碑の多さに驚き。そのうちのひとつメレヨン島戦没者の慰霊碑に下のようなものがあります。

備後護国神社にある99式重防楯

99式重防楯です... といっても、わからないですね(汗)。機関銃を撃つときに銃手を護るためのものです。伏せて撃つのを想像してみてください。穴があいてるところから銃身を出して、この楯の後ろに伏せるという感じです。

誤解を恐れずに記すと、福山にこれだけ歩兵第41連隊の遺構があるとは正直意外でした。そして備後護国神社には多くの慰霊碑... 考え方は人それぞれだと思いますが、その判断をするための材料は残すべきだと思います。戦争経験者が鬼籍に入るようになってかなりの時間が経っています。今のうちにしなければいけないことが少なからずあるような気がします。

このページの公開日:2014.06.22

コンテンツメモ

  • 訪問日:2014.06.15
  • 場所:広島県福山市
  • 行程:山陽道
  • X-M1 + XC 16-50mm F3.5-5.6 OIS

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