安芸の国から

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旧帝国陸軍:工兵第五連隊と工兵橋

広島市の白島と牛田を結ぶ工兵橋。すぐそばに国道54号の「新こうへい橋」がありますが、この工兵橋は人や自転車が使うための橋です。旧市内唯一の吊り橋でもあります。

工兵橋 (2015年3月撮影)

工兵第五連隊

工兵橋南詰(白島側)には工兵橋の説明版があります。

工兵橋そばにある説明版

工兵橋(爆心地から約2.3キロメートル)

工兵橋は、白島の陸軍工兵第五連隊(現在の安田学園の位置)と牛田の演習場を結ぶため、1933(昭和8)年に架けられました。原爆によって白島地区はこの工兵隊付近を除いて全焼しましたが、この橋は損傷が少なかったため、おおぜいの被爆者が渡って避難していきました。

現在架っている工兵橋は戦後に架け替えられたものです。この説明版にあるように、現在の安田学園の場所には陸軍の工兵第五連隊が駐屯していました。工兵橋南詰そばの公園(?)には慰霊碑があります。

安田学園そばにある工兵第五連隊慰霊碑
安田学園そばにある工兵第五連隊慰霊碑 裏

正面には「工兵第五聯隊跡地」、背面には「工兵第五聯隊 工兵第三十九聯隊 船舶工兵部隊 昭和五十八年十一月建之」と記されています。このほかにはまわりも含めて特に説明は記されていません。ところで「工兵」とはどういった「兵」なのでしょうか?

工兵は「工」という文字から想像されるとおり、戦闘に必要な構造物を建築します。また、敵のそういった構造物を破壊したりもします。慰霊碑の背面にある「船舶工兵」は船舶の運用も行なっていました。ちなみに自衛隊では「工兵」は存在しませんが、その役割を「施設科」が担っています。

国土地理院の地図・空中写真閲覧サービスに米軍が撮影した写真がありました。工兵第五連隊が駐屯していた場所をトリミングしてみたのが下のもの。2枚の写真を並べています。

原爆投下前と投下後の写真

左が1945(昭和20)年7月25日、右が同年8月8日に撮影した写真です。そう、右は原爆投下後2日たった写真。多くの建物がなくなっているのがわかります。そんな中、工兵橋は残りました。

当時この場所には中国軍管区工兵補充隊がいました。8月6日は下士官要員約100人が入隊、在隊者は作業演習のために営庭に集合しており多くの隊員が犠牲となったそうです。

参考にした書籍など

コンテンツメモ

  • 訪問日:2015.03.22
  • 場所:広島市中区
  • 行程:国道54号
  • X30

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