旧帝国海軍:呉海軍工廠砲熕部火工場機械室

2017年11月19日、日本遺産WEEKのイベントで公開された旧呉海軍工廠砲熕部火工場機械室(現海上保安大学校煉瓦ホール)を観に出かけました。昨年追加で認定された火工場機械室、日本遺産WEEKのイベントでは初めての公開。私も火工場機械室を訪れるのは初めてです。

呉海軍工廠砲熕部火工場機械室 1

1914(大正3)年に建設された火工場機械室

2017年の日本遺産WEEKは11月18日~26日に開催されました(このページ公開時は開催中)。この呉海軍工廠砲熕部火工場機械室(以下火工場機械室)は18日と19日に公開されました。この火工場機械室、存在は知っていたのですがその場所は海上保安大学校内... 今回訪れることができて嬉しい。

呉海軍工廠砲熕部火工場機械室 2

とてもシンプルな建物ですが、とても "らしい" 建物です。建物前と入口の横に説明板があったので記します。最初に入口横にあった説明(英文は省略(^^;)。

端艇庫

昭和17年、日本本土は米軍機による初空襲を受け、昭和19年頃からは連日のように空襲を受けるように鳴り、爆撃の被害を避けるため日本海軍の地上施設は地下に建設されるようになった。

この建物は、旧海軍工廠火工場機械室として、1914(大正3)年に建てられました。

レンガ造平家で、小屋組は木造トラス、屋根は寄棟で、浅瓦葺きです。

全体的にシンプルなデザインですが、窓周りや壁頂部のレンガの造形などの外観には当時のたたずまいが感じられます。

1950年に海上保安訓練所(現・海上保安大学校)が設けられて以後、この建物はカッター(端艇)の置き場として使われてきました。かつて海軍の拠点のひとつだった呉の歴史を伝える貴重な文化遺産であるため、保存改修方法や活用方法について、学識経験者を含めた委員会を設けて検討し、2004(平成16)年3月に保存改修が完成しました。

建物前の説明です。

呉市指定文化財第116号 有形文化財

旧呉海軍工廠砲熕部火工場機械室(海上保安大学校煉瓦ホール)

FORMER KURE NAVAL ARSENAL (JAPAN COAST GUARD ACADEMY BRICK HALL)

平成28(2016)年12月20日指定

現在の海上保安大学校の敷地には、明治22(1889)年に呉鎮守府吉浦火薬庫が設置されました。

その後、明治36(1903)年に呉海軍工廠造兵部第六工場(のち砲熕部第六工場と改称)火薬庫となりました。一方、この地には、明治42(1909)年に古瀬大学と呼ばれた呉海軍工廠火薬試験所が設立されました。

火工場機械室は、大正3(1914)年に呉海軍工廠砲熕部第六工場の施設として建設されました。この煉瓦造りの建物は、完成から約100年以上経過していますが、その間に大きな損傷を受けることなく、建設当時のままの姿が現在まで残っており、かつて海軍の拠点だった呉市の歴史を伝える貴重な文化財であります。

現在は、演奏会などが行える多目的ホールとしても使用しています。

呉市・呉市教育委員会

説明に追加すると、1935(昭和10)年に "火工兵器の重要性に鑑み" 呉海軍工廠に火工部が新設されます。そのときに砲熕部第六工場は火工部となりました。

この日は内部も公開されており、自由に入ることができました。

呉海軍工廠砲熕部火工場機械室 内部

保存するための改修が行なわれたということで、内部はとてもキレイ。海上保安大学校図書館の東郷平八郎が所有していた書籍や海上保安庁に関係するパネルが展示されていました。天井へ目を向けてみます。

呉海軍工廠砲熕部火工場機械室 内部 天井にあるさまざまなモノ

"機械室" だったからでしょう、滑車のようなもの(?)やいろいろなものがついています。この火工場機械室にはどういった機械が設置されていたのか調べたのですが、辿り着くことができませんでした(残念)。

上に "東郷平八郎が所有していた書籍" と軽く記しましたが、公開されていたのは "旧海軍大学校図書" という大変貴重なものの一部です。説明をしてくれた方も「図書館から引っ張り出してきました(笑)。大変貴重なもので公開されることは珍しい」ということでした。

東郷平八郎が所有していた書籍

写真の説明です。上から "大海戦写真帖(12冊作製のうちの1冊) "、"東郷平八郎の書き込み(使用していた英大帝国史)"、 "東郷平八郎のサインと印(英国留学中に使用)"、"軍服姿の東郷平八郎" 。

太平洋戦争では敵となった各国の提督も尊敬していた東郷平八郎の書。ここで見ることができるとは思いませんでした。ただ東郷平八郎... 私が興味をもつ時代が太平洋戦争へ向かう頃から終戦までというものだからでしょう、晩年は軍政に口を出さなければよかったのにと思わないでもないのですが歴史的にはどうなんだろう。

呉海軍工廠砲熕部火工場機械室の窓から見える地下壕のようなもの

火工場機械室の奥に見える豪。太平洋戦争中につくられたものでしょう。

この日は海上保安資料館も公開されていました。そこには2001(平成13)年九州南西海域不審船事案で銃撃を受けた巡視船「あまみ」船橋前面の展示も。

海上保安資料館 巡視船「あまみ」船橋前面

もう16年も前になるのですね。

この週末26日は(株)ダイクレ呉第二工場亜鉛メッキ工場(旧呉海軍工廠砲熕部精密兵器工場)が公開されるのですが、仕事で訪れることができません(>_<。来年は訪れることができるといいな。

参考にした書籍など

このページの公開日:2017.11.23

  

コンテンツメモ

  • 訪問日:2017.11.19
  • 場所:広島県呉市
  • X-T10 + XF18-55mmF2.8-4 R LM OIS

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