旧帝国海軍:呉海軍下士官兵集会所・桜松館

12月11日、冠崎の戦争遺構を訪れたあと、"青山クラブ"に立ち寄りました。青山クラブ、存在は知っていましたがこれまであまり気にかけることなく。そんな"青山クラブ"に今回訪れたのは、12月6日付の地元新聞に "呉市、旧海軍2施設購入へ" という記事があったからです。

青山クラブ(旧下士官兵集会所) アールのある部分

下士官兵のための集会所

この青山クラブは1903(明治36)年に海軍の下士官および兵のための施設「下士卒集会所」として建設されました。"集会所"には娯楽室があったり物品の販売所があったり、また入港した艦艇で上陸した者たちが宿泊したり... いわゆる保養所といったところでしょうか。海軍においては士官たちの「水交社」、准士官の「海友社」、下士官の「海仁会」(海仁会が設立されたのは昭和13年)と階級によってわかれていました。

「下士卒集会所」は「下士官兵集会所」と呼ばれるようになりました。アジア歴史資料センターにある公的な文書でもいつの頃からか「下士官兵集会所」と書かれるようになっています。当時の方の話を読むと、海仁会が設立されてからは「海仁会集会所」といった呼び名も見つけることができます。

青山クラブ(旧下士官兵集会所) アールのある部分から通りに沿って

1905(明治38)年6月の芸予地震で施設が大破したために改築、それ以降も増改築が行なわれて1936(昭和11)年に今の姿になりました。入口のこのアールがおしゃれですね(^-^)。この青山クラブ、現在は海上自衛隊呉地方総監部の援護業務課、自衛隊広島地方協力本部の呉地域事務所、呉音楽隊がその一部を使っています。

立ち入り禁止な雰囲気もなかったので中庭に入ってみました。この青山クラブ、形がコの字になっているので中庭があります。

青山クラブ(旧下士官兵集会所) 中庭 右手側

眼鏡橋の反対側をみたのがこちら。あまり使っていない建物ということもあって、手すりの錆具合など大変なことになっていますね。老朽化が激しいという記事の意味がよくわかります。でも回廊の一部が半円状にとびでていたり、ただの建物ではない姿をしています。

そして奥には桜松館が見えます。

青山クラブ(旧下士官兵集会所) 中庭 左手側

こちらが眼鏡橋側になります。回廊もコの字に続いています。建物の奥には木々がみえますが、海軍の時代にはこの向こうに長官官舎がありました。

桜松館

中庭をでて入船山記念館へ向かう坂道を上る途中に「海上自衛隊呉音楽隊」の看板。中庭からも少し見ることができた桜松館です。現在は呉音楽隊の練習拠点となっています。この写真を撮るときも楽器の音が聞こえていました。

新聞記事によると、呉市はこの2施設を購入して次のような考えを持っています。

桜松館は特産品、飲食を提供する休憩施設や歴史、文化の情報を発信する施設に改修。青山クラブは老朽化が激しいため解体して駐車場にする。大和ミュージアムと両施設一帯を周遊できる遊歩道の新設も検討する

海軍があったころは、この下士官兵集会所から先が海軍用地で一般の者は入ることができませんでした。もっとも、観光に来る方の中で「ここから先が海軍用地だったんだぁ」なんて考える人がどれくらいいるかは定かではありません(そんな人いない(^^;?)。そんな建物が取り壊されるというのはちょっと残念な気もしますが、より観光者が呉という地、呉の歴史を楽しむことができる何かができるのならばいいなと思います(^-^)。

参考にした書籍など

このページの公開日:2016.12.29

  

コンテンツメモ

  • 訪問日:2016.12.11
  • 場所:広島県呉市
  • X-T10 + XF18-55mmF2.8-4 R LM OIS

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