催し物:2012年車輪村
4月15日に神石高原町で開催された「車輪村」というイベントに出かけました。「車輪村」に出かけるのは一昨年、昨年に続いて3回目です。今年の目的はやはりヒストリックカーはもちろんですが、光岡自動車の大蛇(オロチ)。そして去年食べ損ねた蒜山焼きそばでした(笑)。
2012車輪村、会場構成が変わってました
今年の車輪村は会場構成が変わっていました。フードコートが昨年までヒストリックカーミーティングをしていたグラウンドにやってきてます。真ん中にフードコートが集められてそのまわりをヒストリックカーが囲むという感じ。
昨年はヒストリックカーを観ることを先行させたために売り切れで食べることができなかった蒜山やきそば・・・ 今年はその教訓を生かして最初に購入。無事に食べることができました(笑)。
日野コンテッサ 1300クーペ
もうひとつ昨年食べ損ねていたホルモン鍋(?)をいただいた後にヒストリックカーミーティング会場をまわりました。そんな私の今年最大ヒットはこの日野コンテッサ 1300クーペ(^-^)。
日野コンテッサ、実は私知りませんでした。「なんという外車なのかな?」というのが第一印象。近くでフロントエンブレムを見てみると・・・
これではわからないですね。トリミングしたのが下の写真。
Hino・・・ 日野? 日野自動車の乗用車??
帰路に実家に立ち寄って父に写真を見せてみると「昔、広島のタクシーはコイツ(コンテッサ)ばかりだった」とのこと。「ばかりだった」には多少の脚色があると思われますが(笑)、驚きです。
「コンテッサ」・・・ 自宅に帰って調べてみると日野が自社開発した唯一の自動車らしい。1961年にコンテッサ900が登場、この写真のコンテッサ1300クーペは1965年に登場したそうです。
私が最初外車と感じたコンテッサのデザインは「ジョバンニ・ミケロッティ」によるもの。外車と感じて当然かもしれません。
こちらが車内。木目調というとおやじっぽく感じることも多くあるのですが、そんなことは微塵もなく。外からも内からも本当に美しい車だと思います。
しかし、当時の販売はそれほどでもなく、日野自動車はトヨタ自動車と提携した翌年(1967年)には生産を終了。乗用車の自主開発から撤退したそうです。私が生まれる前にすでに乗用車の開発から撤退していたのですね・・・ 知らないのも当然といえば当然か。そういった意味でいうと、今の若い人はいすゞが乗用車を作っていたということを知らないかもしれませんね。
光岡自動車 大蛇(オロチ)
メイン会場(?)からちょっと移動してスーパーカーが展示されている会場へ。GTカーやレクサスのLFAもいましたが、私の目的は光岡自動車のオロチ。
なんか凄いです(汗)。フロントマスクの真ん中が口のように感じるとそのようにしか見えず、その顔はクジラだかナマズかのよう(汗^2)。
「このオロチ、今までにどれくらい売れたのだろう?」と調べてみると、 2009年9月のCar Watch記事で次のように記されています。
2006年10月に発売以来、国内外で約90台を販売
単純に割ると年間30台程度・・・ 完全受注生産で400台らしいのですが、いつ頃完売となるのだろう。どんなシナリオを無理矢理に考えても、多くの人の購入選択肢になるような車ではないと思いますが、こういった車がでてくるということ自体が大切なんだろうと感じます。
ヒストリックカーミーティングではコンテッサのほかにもアルファやシトロエンの旧車やマツダの三輪トラック(広島での通称(?)はバタンコ)も複数台参加していてよかったです(^-^)。また、自車への想いを記したボードを置いていたワーゲンビートルもいい味を出していました。
神石高原町、やはり思っているほど近くはないトコなのですが、来年も出かけてみようと思います(^-^)。
このページの公開日:2012.04.21