安芸の国から

安芸の国に暮らすおじさんのお出かけ記録です

旧帝国海軍:再び平生の阿多田交流館へ

もう1ヶ月前になるのですが、6月28日に山口県平生町の阿多田交流館へ出かけました。ここへ行くのは2回目・・・ 前回出かけたのは2006年5月です。「出口のない海」が公開される少し前のことでした。大津島を2度目に訪れたときにも書きましたが、最初に出かけたときよりもより多くのことをしっての再訪問は、より感じることが多くなります。

平生町 阿多田交流館

阿多田交流館の資料・展示物

阿多田交流館の資料・展示物概観

平生町 阿多田交流館 展示物

私たちが出かけた日(6月28日)は、前回と違って私たちのほかにも3,4グループの訪問者がいらっしゃいました。そのうちの1グループは私の両親と同じぐらいの年齢かと思われたのですが、前日に大津島に行かれていたようです。館の方の説明を熱心に聞き、時には質問をされていました。

何をきっかけに回天のことを知り、そしてより多くのことを知ろうと考えられたのかはわかりませんが、自分の親ほどの方がそういったことをされていることに少し興味をもったのでした。

敵艦に体当たりするために

平生町 阿多田交流館 秒時計
平生町 阿多田交流館 斜角表

今さらですが、回天は魚雷を人間が操って敵艦に体当たりする兵器です。そして体当たりをする本人が敵艦に体当たりをするために(=自分を死なせるために)適切に回天を操縦しなければいけません。そんな回天搭乗員が必ず持っていたのが上の2つ、秒時計と射角表です。

回天は母艦(潜水艦)から発進後、露頂して特眼鏡により目標艦を観測し、目標艦の距離、角度、速度を判断、そして射角表を使って目標艦へ体当たりするための進路を「正確に」決定しなければいけません。もちろん敵に見つかっては元も子もありませんので、これらの決定は迅速に行なう必要があります。当たり前ですが、これらの決定も操縦しながら行わなわなければなりません。

そして再び潜航。目標艦に向けて突入です。命中したときの爆発を確実なものにするため、搭乗員は電気信管に手をかけて突入します。命中までの時間を秒時計で確認し、命中しているはずの時間になっても命中していない場合は、再度露頂して目標艦を確認し攻撃を繰り返す・・・ 

搭乗員の方は敵艦への体当たりを目的として訓練を積み、そして戦場へ赴いたわけですが、敵艦に命中したものは多くはありませんでした。母艦から発進したものの目的を果たせず自爆するしかなかった搭乗員、米軍の優秀な対潜作戦により発進前に母艦ともども撃沈されてしまった搭乗員・・・

帰投した搭乗員への心ない発言

また、発進の機会を得ず、あるいは回天の故障により基地に帰投することもありました。決死の覚悟で出撃したにも関わらず戻ることになってしまった搭乗員の気持ちは私などには想像できないでしょう。しかし、同じ回天の搭乗員であればその気持ちを察することができるはずです。にも関わらず、轟隊の伊36潜が出撃前に行なった襲撃訓練の研究会上で先任将校が竹の棒で力いっぱいに机をたたいて次のような発言を。

「いつの出撃でも一本や二本オメオメと帰ってくる。鉢巻を締め、日本刀をかざして全員に送られて、得意になって出ていくだけが能じゃない。出ていく以上、戦果をあげなけりゃなにもならん。スクリューが回らなかったら、手で回して突っ込め」

帰投した搭乗員は仲間の発進を見送っていることもあるわけです。その辛さは見送った搭乗員が一番感じているはず。しかも轟隊の伊36潜で出撃する搭乗員は皆帰投した経験のある者ばかり・・・ そんな搭乗員に対して、いかなる理由があって先任将校はこのような発言をしたのでしょうか。

下に記した書籍の著者である武田五郎氏、横田寛氏もこの研究会に出席していた搭乗員です。しかも横田寛氏はその轟隊で出撃する搭乗員・・・ そのときの怒り(「怒り」という一言では表現できない怒り)は書籍に記されていました。

轟隊はこの後出撃します。しかし出撃した6人のうち3人は回天の故障により再び帰投しました。下記は窮地に陥った伊36潜を救うために一部故障した回天で発進した久家稔少尉(予備学生4期)が発進前夜に書き残したものです。

「艇の故障でまた3人が帰ります。・・・ 中略 ・・・ みなさん、お願いします。園田、横田、野村、みなはじめてではないのです。二度目、三度目の帰還です。生きて帰ったからといって、冷たい目で見ないでください・・・。

この三人だけは、すぐまた出撃させてください。最後にはちゃんとした魚雷に乗ってぶつかるために、涙をのんで帰るのですから、どうかあたたかく迎えてください。お願いします。

先にゆくわたしに、このことだけがただひとつの心配ごとなのです」

久家稔少尉は金剛隊、天武隊で出撃したときに帰投しています。そのときにきっと心ない者に冷たい目で見られたのでしょう。加えて出撃前の研究会上での先任将校の発言・・・ 帰投する3人のために書き残さずにはいられなかったのでしょう。

書きたいことはもっとあるのですが、ここまでの文章がまとまっていないうえに長くなってしまいました(苦笑)。続きはまた別の機会に記そうと思います・・・ えっ、もういいですか(^^;。 国の危機、自分が愛する者たちへ危機がせまったときにこういった行動をした若者たちがいたことを知ってもらいたくて・・・ そんな若者たちの行動をどう考えるかは、人それぞれ。ただ、知らないと考えることすらできないのですから。

回天に関連する書籍

私が読んだ回天に関する書籍、回天についての記述がある書籍です。

武田五郎氏は予備学生出身、横田寛氏は予科練出身の回天搭乗員です。久家稔少尉の書き残した文章にある「横田」はこの横田寛氏のことです。引用部分については、「回天特攻学徒隊 回天は優れた兵器ではなかった / 武田五郎 (光人社NF文庫)」を参考にさせていただきました。

このページの公開日:2009.07.31

コンテンツメモ

  • 訪問日:2009.06.28
  • 場所:山口県平生町
  • 行程:山陽道 - 県道70号 - 国道188号
  • EOS 40D + EF-S10-22 F3.5-4.5 USM

サイトマップ

ブログ

掲示板

Copyright© webmaster@安芸の国から All rights reserved.   | このサイトについて | お問い合わせ |