旧帝国海軍:殉国之塔
6日に広の戦争遺構を訪れたときに工僚神社を見つけられなかったのでかわりに・・・ というわけではありませんが、広から自宅に戻る途中に警固屋にある殉国之塔に立ち寄りました。
工廠地帯を見下ろす場所にある殉国之塔
殉国之塔は、1945年6月22日の呉海軍工廠への爆撃により犠牲になった工廠の従業員、女子挺身隊、動員学徒、軍人を慰霊するために建立されました。
碑のそばには移設について記されていました。
殉国之塔移設趣意
この殉国之塔は、旧呉海軍工廠跡を見下ろす宮原十三丁目の丘陵地に建立されておりましたが参拝の道筋も整備されておらず分かり難い危険な場所にあり忘れ去られる虞がありました。
この為、呉市の許可を得て旧呉海軍工廠跡(この地より北西部一帯の平坦地)を望める場所で安全に心置きなく参拝できる此処、鍋山第一公園に有志の浄財を以て移設いたしました。
旧呉海軍工廠は、昭和二十年(一九四五年)六月二十二日午前九時二十分頃より正午前までアメリカ爆撃機B29約290機の空襲を受け主力工場は壊滅し従業員並びに女子挺身隊員男女動員学徒、軍人四七六名が悲惨な殉職をされました。
ここに殉職者を追悼し、この殉国之塔が後卋まで平和の礎となることを念願いたします。
平成二十年(二〇〇八年)六月吉日
殉国之塔保存会
会長 三川博三
法正寺 満行寺 仏教婦人会
法正寺 善妙寺 仏教婦人会
警固屋地区 社会福祉協議会
自治会連合会
女性連合会
民生委員 児童委員協議会
「殉国之塔移設趣意」に記されているようにこの鍋山第一公園はかつて工廠だった地帯を見下ろすことができる場所です。でも、この日はとてももやっていて残念でした。
桟橋に護衛艦が停泊しているのが見えます。工廠だった地帯は民間企業あるいは自衛隊の施設となり、現在も活躍しています。戦争が起こらないことが一番ですが、仮に起こったとしても爆撃などされないよう願うばかりです。
このページの公開日:2010.11.02