安芸の国から

安芸の国に暮らすおじさんのお出かけ記録です

旧帝国海軍:軍艦「榛名・出雲」戦歿者留魂碑

11月9日に江田島市小用にある軍艦「榛名・出雲」戦歿者留魂碑を訪れました。この留魂碑は榛名が着底した小用沖を見下ろす江田島公園にあります。

軍艦「榛名・出雲」戦歿者留魂碑

戦艦「榛名」について

榛名は金剛型戦艦の3番艦で1915年(大正4年)に竣工しました。太平洋戦争開戦時(1941年:昭和16年)すでに艦齢は25年を超えていましたが、1933(昭和8)年から行なった第二次近代化改装により30ノットの速力を持つようになった金剛型戦艦は、空母に随伴できる唯一の戦艦として太平洋戦争の多くの戦いに参加しました。

大和型戦艦は艦隊決戦のために温存... 太平洋戦争では艦隊決戦を目的とする戦艦という艦種自体が用途がなくなっていたという感もありますが、30ノットの速力を持っていたことはもちろん、すでに古参となっていた金剛型戦艦は"使い勝手"がよかったのかもしれません。

そんな榛名ですが、1945(昭和20)年になると活動するための燃料を事欠き、レイテ沖海戦の修理後も呉に停泊することになります。そして7月24日および28日の米第三艦隊第38任務部隊艦載機による攻撃により、榛名は江田島小用沖に大破着底してしまいました。

軍艦「榛名・出雲」戦歿者留魂碑

碑文を記します。

大東亜戦争の末期 江田島町小用港沖に碇泊中の軍艦榛名 出雲の両艦は 昭和二十年七月二十四日二十八日の両日にわたり 米艦載機の執拗なる大空襲を受け ここに壮烈なる海空の戦闘が展開され 日本海軍の精華を遺憾なく発揮した

しかくながらこの戦闘において榛名七十一柱 出雲三柱の尊き戦没者を出したことは 誠に痛恨に堪えない

昭和四十一年二月より 中浜吾祐江田島町長を中心に是等悠久の大義に殉せられた護国の英霊を弔い これが武勲を永く後世に顕彰せんが為に 留魂碑建立の運動が進められ 江田島町の有志竝に海上自衛隊 元両艦の乗員更には御遺族等有縁の方々よりの浄財により 昭和四十二年五月六日両艦奮戦の古戦場を眼下に眺め得るこの地に建立された 題字は元文相灘尾弘吉先生の筆による

民族の興隆は栄ある歴史の伝統により推進せられる その歴史は殉国の人々の尊き生命の集積がその根幹となっていることを忘れてはならない

留魂碑保存会

7月24日と28日の攻撃といえば昨年までに慰霊碑を訪れた大淀利根が大破・沈没したのと同じ攻撃でした。

ヘンダーソン基地艦砲射撃

榛名が参加した有名な戦いのひとつに1942(昭和17)年に行なったガダルカナル島のヘンダーソン基地艦砲射撃があります。そのときに使われた一式徹甲弾が江田島の旧海軍兵学校(幹部候補生学校・第1術科学校)にあります。

「金剛」又は「榛名」が発射した一式徹甲弾

砲弾下の台座に記されていた砲弾(一式徹甲弾)の戦歴、この砲弾がこの地に戻ってきた経緯です。

砲弾の戦歴

日本海軍が1942年8月 ガダルカナル島に建設した飛行場は わが航空部隊が進出する直前に連合軍の奇襲上陸により奪取された この飛行場の確保が大東亜戦争の天王山と判断した両群はその争奪を巡って死闘を繰り返した

日本海軍は 陸軍のガ島総攻撃用の兵員及び軍需品の高速輸送を支援するため艦砲射撃による飛行場の制圧を計画した 1942年10月13日夜半 挺身攻撃隊として編成された軽巡「五十鈴」駆逐艦「親潮」「早潮」「黒潮」「海風」「江風」「涼風」「高波」「巻波」「長波」 戦艦「金剛」「榛名」は ガ島に肉薄し「金剛」「榛名」の主砲をもって 合計918発にのぼる砲撃を加えた この猛攻によりガ島飛行場は一面火の海となり わざ高速輸送船団は無事ガ島に突入し 揚陸に成功した

砲弾の祖国帰還の経緯

本砲弾は 1983年8月 ガダルカナル島を訪れた赤沢璋一氏(比叡)及び永末英一衆議院議員(五十鈴)が 川村庸也氏の案内により島内の戦跡を見て回った際に発見された

その後 関係者により本砲弾を祖国に帰還させるための努力が重ねられ特に 川村氏の熱意と懸命な尽力とにより 1985年2月 40余年振りにガ島から祖国に帰ってきたものである

帰還後 海上自衛隊が調査を行った結果 本砲弾は「金剛」又は「榛名」が発射した一式徹甲弾であることが確認された

そこで挺身攻撃隊として 当時の作戦に従事した有志が集って保存会を結成し 多くの会員の協力を得て 本砲弾を日本海軍ゆかりの地 江田島に展示し 永く後世に伝えることとした

なお この砲弾が損傷しているのは 不発弾処理によるものであり また 傾けてあるのは ガ島の方向を示すためである

この榛名・出雲慰霊碑の横にはもうひとつ慰霊碑がありました。碑に書かれていた文によると「昭和18年8月5日呉海軍工廠火工部第二装填工場小用作業場にて火薬事故により殉職す」とのこと。戦争では前線でお亡くなりになった方々だけでなく、このように後方でお亡くなりになった方が多くいることを忘れないようにしなければいけません。

その横に紳士(?)の像があったのですが、あれは誰の像なのだろう...

おまけ:あぶくま型護衛艦 とね

あぶくま型護衛艦 とね DE-234

呉ポートピア港から乗ったフェリーを横切っていく護衛艦「とね」です。この日はつけてたレンズが10-22mmなんてものだったので、思いっきりトリミングしたもの... 望遠をつけていたカメラを持っていれば、そうでなくても標準画角のレンズをつけていればとちょっと残念。

日曜日の一般公開では当たり前ですが艦は停泊しています。実際に航行している護衛艦を目にする機会はなかなかないですからね。

このページの公開日:2011.10.30

コンテンツメモ

  • 訪問日:2011.11.09
  • 場所:広島県江田島市
  • 行程:国道2号 - 呉ポー~切串(フェリー)...
  • EOS 7D + EF-S 10-22mm F3.5-4.5 USM

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