旧帝国陸軍:歩兵第21連隊
もう1ヶ月ほど前のことになりますが、6月29日に島根県浜田市の歩兵第21連隊兵営跡地を訪ねました。「軍のページ」で島根まで足を伸ばす(?)のははじめてではないでしょうか。現在の浜田市立第一中学校、島根県立浜田高等学校(とそのまわり?)が兵営の跡地です。
浜田にあった歩兵21連隊
歩兵21連隊はもともと広島で編成されましたが、浜田に転営した連隊です。
碑のそばに21連隊の歴史が記されていました。明治19年に創設されており、とても長い歴史を持った連隊であることがわかります。その歴史を抜粋して記します。
- 1886(明治19)
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8月25日:広島に連隊を創設 軍旗拝受
- 1894(明治27)
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6月5日:日清戦争参加(明治28年6月22日凱旋)
- 1898(明治31)
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7月24日:広島より浜田転営
- 1900(明治33)
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6月26日:北清事変参加(明治34年7月10日凱旋)
- 1904(明治37)
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4月19日:日露戦争参加(明治38年12月28日凱旋)
- 1937(昭和12)
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7月27日:支那事変参加
- 1941(昭和16)
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12月8日:太平洋戦争参加
12月17日:マレー作戦 - 1942(昭和17)
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2月15日:シンガポール攻略戦
- 1943(昭和18)
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1月8日:ジャワ島転進
12月17日:濠北地区防衛作戦 - 1945(昭和20)
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8月15日:終戦
8月25日:セラム島ホニテトに於いて軍旗奉焼 - 1946(昭和21)
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5月29日:復員
歴史が長いだけでなく、支那事変参加時には万里の長城にはじめて日章旗を立てた部隊でもあります。碑の横には、当時の哨舎も設置されていました。
哨舎の後ろにこの地の説明が記されていました。
この地はかつて全国にその剛勇を謳われた浜田連隊のありしところ ここに佇めばそのかみの人馬のひしめきつわもの共の雄叫びか 彷彿として甦る 一基の碑 後人をして往時を追慕よく剛健の気風を振起 させるであろう
門柱も。詳細はわかりませんが、福山の第41連隊跡で見たような門柱とはちょっと違います。正門という感じではないですが、どこで使われていた門柱なんだろう?
旧歩兵第21連隊雨覆練兵場
この場所には上記以外にも当時の貴重な建物が残っています。現在の島根県立浜田高等学校第二体育館と浜田市立第一中学校屋内運動場なのですが、ともに歩兵第21連隊の雨覆練兵場だった建物です。それぞれの建物が国の登録有形文化財として指定されています。
こちらが浜田高等学校に残る歩兵第21連隊雨覆練兵場。「煉瓦造平屋建・切妻造・スレート葺き」でその面積は644平方メートル、1916(大正5)年に建設されています。
こちらが第一中学校に残る歩兵第21連隊雨覆練兵場です。こちらは「煉瓦造平屋建・切妻造・スレート葺き」でその面積は639平方メートル、1898(明治31)年に建設されています。第一中学校に残る雨覆練兵場のほうがより古いもののようです。この雨覆練兵場の紹介について浜田市のホームページから引用させてもらいます。
雨覆練兵場は、「歩兵第21聨隊」の訓練施設として設計、建設された。広い間口、柱の無い広い空間を必要とする体育施設を建設する場合、木造構造では、多くの制約を受けていた。このため、当時の最新の西洋建築技術を取り入れ、煉瓦(れんが)造り及び鉄骨小屋組を用いて建築されている。同工法による施設建築は、国内でも初期のものであり、近代建築史上、貴重な建物である。
明治・大正に建設された連隊の訓練施設が学校の体育館として2014年の今も使われているというのは、とても感慨深いものであり、驚きでもあります。実際、この日も中学校の体育館ではクラブ活動でしょうか? 行なわれていました。こんなご時世なので、建物の写真を撮るのはもちろん、見てるだけでも不審者に思われそうで... さっさと退散することになったのは残念な限りです(苦笑)。
木口小平像
連隊跡を訪れたあとは浜田護国神社へ。ここには木口小平兵士の像があります。
この木口小平兵士の逸話は小学校の修身教科書にも掲載されています。「木口小平」の名は知らなくても、この話はきいたことがあるという方も少なくないのではないでしょうか。
木口小平兵士は日清戦争に従軍し、戦死した兵士です。連隊に入営後ラッパ手を志願します。日清戦争でラッパ手であった木口小平は戦闘中に銃弾を受け一度倒れたあと、再び立ち上がりラッパを吹き続けます。その後命を落としますが、ラッパは口より離さない姿のままで息を引き取っていました。
広島市南区の比治山にある陸軍墓地には「ラッパ手 木口小平氏を偲ぶ」と説明板があったりします。
すべてを入力するが辛そうだったので写真だけで... 興味がある方は小さな文字で恐縮ですが、ぜひ読んでみてください。
浜田市はこの歩兵第21連隊がやってきたことがきっかけで山陰を代表する軍都として栄えました。今は軍都といった面影をそれほど感じることはありませんが、こういった歴史があったことを若者たちに伝えていく必要があるのではないかと思います。もちろん、これは浜田に限ったことではありませんが...
歴史をどう感じて、どう考えるかは歴史を知った若者たちそれぞれ。でも、伝えないと考える前に忘れらてしまいますからね。
歩兵第21連隊の雨覆練兵場を訪れる前に浜田市教育部文化振興課の方に質問のメールを出させてもらったのですが、丁寧なご返事をいただきました。この場を借りてお礼を申し上げたいと思います。
参考にした書籍など
このページの公開日:2014.07.23