安芸の国から

安芸の国に暮らすおじさんのお出かけ記録です

旧帝国海軍:笠戸島のコンクリート製被曳航油槽船

6月18日、山口県下松市の笠戸島へ太平洋戦争末期に製造されたコンクリート製被曳航油槽船を観に出かけました。一般には馴染みが薄いと思われるコンクリートでできた船... 戦争を遂行するための資源が枯渇していたというのがよくわかる存在です。

笠戸島のコンクリート製被曳航油槽船 1

5隻製造されたコンクリート製被曳航油槽船

場所は笠戸島夕日岬の左手にある海岸。夕日岬からみるとこんな感じです。知らなければ「なんだろう、あれ?」と思うか、気にすることすらないものかもしれません。

夕日岬からみるコンクリート製被曳航油槽船

海岸へ降りてみます。この夕日岬から降りることはできません。さらに少し行った駐車場から降りることができます。目印はこの看板です。タイトルの「ようこそおいでましたのんた」... はじめて聞いた言葉です。"のんた"はどういう意味なんだろう?

駐車場にある看板

海岸のコンクリート製被曳航油槽船、看板に紹介されていますね。

眼下の海にめづらしい船が沈んでいます。終戦まぎわに旧海軍が鉄鋼資材の不足を補う窮余の策として造り出したコンクリート船の名残です

この看板の左側から獣道のような道(汗)を降りていきます。

笠戸島のコンクリート製被曳航油槽船 2

コンクリート製被曳航油槽船(の一部)です。舞鶴海軍工廠が設計し、武智造船所でコンクリート船武智丸を建造する前に5隻製造したうちの1隻でしょう。海軍公報によると、これらコンクリート製被曳航油槽船は昭和18年12月に5隻とも呉海軍軍需部に配備されています。

その通知です。下の参考にした書籍にあるアジア歴史資料センターで見つけることができます。

官房軍第一四一一號
舞鶴海軍工廠ニ於テ武智造船所ニ委託製造セル「コンクリート」製油槽船ヲ雑役船ニ編入シ其ノ公稱番號、船種、所属等ヲ左ノ通定ム
昭和十八年十二月二十日
海軍大臣
公稱番號
自第六七三六號至六七四〇號
船種
重油船(七百瓲積)(五隻)
所属
呉海軍軍需部
定數別
臨時附屬

音戸の坪井漁港で防波堤となっているコンクリート船と姉妹関係にあると思われます。

笠戸島のコンクリート製被曳航油槽船 3

武智丸もこの被曳航油槽船にしても海軍のものですが、陸軍も同様にコンクリート船を考えていました。たとえば昭和19年に「コンクリート製油輸送艇」の発注内示をしましたが、昭和20年4月には内示取消をしています。内示を取消した理由は不明です。また、陸軍で実際に使われることがあったのかどうかはわかりませんでした。

笠戸島のコンクリート製被曳航油槽船 4

太平洋戦争をはじめたのが昭和16年12月、このコンクリート製被曳航油槽船が呉にやってきた昭和18年12月にはすでにアメリカ軍の反攻が本格化し直近ではろ号作戦で大きな損害を受けています。また、各地の拠点も失い、まだ確保している拠点から資源を日本に輸送しようとしてもそのための輸送船がありません。結果、戦争を遂行するために必要なあらゆる資材が枯渇する状態に。

輸送船がないから資源がないのか、資源がないから失った飛行機や艦船を補充することができず油の輸送船にはコンクリート船を作ろうとするのか... 負のスパイラルです。昭和16年にアメリカと戦争をはじめる決断をした者たちは、その2年前の自身が行なった決断を思い起こすことがあったのでしょうか。思い起こすことがあったとき、どういったことを考えたのでしょうか。

海面から見える残骸を見て、そんなことを感じたおじさんでした。

参考にした書籍など

このページの公開日:2016.06.27

コンテンツメモ

  • 訪問日:2016.06.18
  • 場所:山口県下松市
  • X-T10 + XF18-55mmF2.8-4 R LM OIS(一部トリミングあり)

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