安楽寺の銀杏-2019年(広島市東区)

11月16日、広島市東区牛田にある安楽寺へ銀杏を観に出かけました。数年前に一度観に出かけたことがあるのですが、そのときは場所がわからずに撤退した思い出(?)があるお寺です。

安楽寺の門と銀杏

今年は辿り着くことができました

辿り着くことができなかった数年前とは違います。そう、今は私にもスマホがあるのです。あらためて場所を確認してみると、思っていた場所と区画がひとつ異なっていました。辿り着けないはずです(苦笑)。

安楽寺の垂れ下がる銀杏の枝

初めて観に行く銀杏なので、色づきの時期が想像できません。市内中心地でもかなり色づいているものもあれば、まだまだの木もあります。そのため、"どんな感じかな"と思いながら訪れたのですが… まだ少し早かったようです。

安楽寺の門と銀杏 境内から

安楽寺の銀杏は被爆樹木

安楽寺の銀杏は被爆樹木です。"幹には傷跡があります"と書かれていますが、このプレート付近の黒くなっているところも原爆による傷跡でしょうか。

安楽寺の銀杏は被爆樹木

そして安楽寺前の道は “いちょう小径" と名付けられています。

いちょう小径

今から三百五十年前、平田宅六という人が浅野の殿様のお供をして江戸にのぼった時、麻布の善福寺にお参りした。
その善福寺の境内に生えているイチョウの木は、「親鸞聖人が、持っておられたイチョウの木で作った杖を逆さに刺して根付くことを約し、それを通じて浄土真宗の教えが盛んになるしるしに、やがて根付き芽が出るでしょう。と約され、帰られた。」という由緒あるイチョウの木で、その枝を持ち帰って、安楽寺の境内に植えた。それが根付き、今の大きなイチョウの木に育った。
一四三三年(天文二年)に建立された安楽寺は、昭和二十年八月六日の原爆の際、樹齢約三百五十年のイチョウに守られ焼失を免れた。原爆の被害を受けながらも、春になって緑の芽が出てきた。この生命力が「被爆樹木」として後世に被爆の実相を伝えてくれる貴重な財産である。このことから、「いちょう小径」と道路愛称を名付けた。

平成二十六年三月
牛田学区社会福祉協議会作成

説明板にもある親鸞聖人の像(親鸞聖人童形像)があります。

安楽寺 親鸞聖人と銀杏

訪れたときは法事が行われているようでした。そして次の方々でしょうか、車やタクシーが続けていらっしゃったりして。

安楽寺 門を貫く銀杏

安楽寺の銀杏、門を貫いています。枝を切ることなく、門を貫かせたというのは由緒ある銀杏であること、この銀杏がお寺を原爆による消失から護ったということからでしょうか。

最初の方に書いたように、はじめて観る銀杏ということで色づきの時期がわかりませんでしたが、広島市内の銀杏でいうと極端に早くもなく遅くもなくという感じ。来年はよりよさそうな時期に出かけてみたいと思います。