呉に残る旧送油管(広島県呉市)

1月9日(2022年)から適用されている"まん防"… 1月末までだったものが2月20日まで延長され、さらに3月6日まで延長されることに(+_+。しかし再延長となる2月21日からは営業、見学を再開するところもあるようです。

“てつのくじら館"も見学を再開する施設のひとつ。見学再開を記念して(笑)、昨年3階海自イベント室で特別展示されていたものをひとつ紹介します。

吉浦貯油所の紹介

吉浦乙廻燃料置場

海上自衛隊航空団の紹介などもあったのですが、私が気になったのは最初の写真の"リベタン"が真ん中を陣取る"呉造修補給所貯油所"。ちょうどガイドの方がいらっしゃっていて話をさせていただきました。

貯油所資料室のパンフレット

上から施設の歴史をまとめるよう指示があり、資料をかきあつめて調べたと(^^(^^;。この"呉造修補給所貯油所"は旧海軍時代の"吉浦乙廻燃料置場"をはじまりとする施設です。

アジア歴史資料センター Ref.C08010916400 より

1932(昭和7)年に旧海軍が吉浦の乙廻地区に用地を取得、1937(昭和12)年に呉海軍軍需部の"吉浦乙廻燃料置場"として発足しました。呉造修補給所貯油所は海上自衛隊で最も大きな燃料補給施設のひとつですが、トンネルや地下タンクなど現在も旧海軍時代の施設が使われています。

そんな"吉浦乙廻燃料置場"に関係する遺構が残っています。

川にかかる送油管

旧海軍時代は"吉浦乙廻燃料置場"から新宮工場(新宮燃料置場?)のポンプ室を経由して海軍工廠と広11航空廠まで重油を送っていました。そのために建設された送油管の一部を今でも見ることができます。

二河川にかかる送油管

ひとつは広島市内から国道31号を使って"てつのくじら館"や"大和ミュージアム"に行くときに使うであろう橋のよこに残っています。

堺川にかかる送油管
地上にでてきた送油管

もうひとつは呉教育隊へ続くところに。二河川のところでは送油管1本だったものが、堺川をわたるところでは2本となっています。地下のルートがわからなかったのですが、どうなっているのだろう?

気にかけなければただの古い鉄管なだけですが、そんな鉄管にも歴史があるということで(^-^。

“呉造修補給所貯油所"ですが、以前に一般公開されたことがあります。仕事だったかで行くことができず、その後の公開を楽しみにしていたのですが、一般公開されることなく(涙。もう一般公開されることは難しいだろうな(涙^2。

参考にしたページなど