1分の1原寸大”瑞雲”(広島県呉市)
1月31日、大和波止場の「1分の1原寸大"瑞雲"」を観に出かけました。
1月24日に除幕式がありました
この"瑞雲"は大和ミュージアム休館対策事業の一つとして設置工事が行われていました。最初に"瑞雲"と聞いた時、「なぜ"瑞雲"なんだろう? 呉で水上偵察機つながりだったら伊400の"晴嵐"というテもあるのでは??」と思ったのですが、"艦これ"のC2機関さんからご寄付いただいたそうで(驚)。
除幕式のあった1月24日に出かけてみようかな… と、思ったのですが、天気が心配だったことと、提督の方々の盛り上がりが凄そうなので、一瞬で考えを改めました(^^(^^;。除幕式からの艦娘音頭、艦娘遊撃隊によるインラインスケートなど、実際大変な盛り上がりだったみたい。"佐久間宣行のNOBROCK TV"で一般の方にも知られることとなった(?)立野沙紀さんも丁型駆逐艦"杉"で参加されていましたようですね。
瑞雲の紹介
瑞雲は1940(昭和15)年2月7日、海軍航空本部から愛知航空機に「艦載に適し、急降下爆撃の実施容易なる高性能(速度250kt:463km/h)の水上爆撃機」の要望があがったのがはじまりです。
愛知航空機では社内名称AM-22で開発が進められました。1941(昭和16)年5月に強度試験機製作開始、第1号機製造開始と進み、1942(昭和17)年3月31日に試作第1号機が完成。海軍側は領収飛行を行なった結果、1942(昭和17)年11月10日に制式採用を内定し、30機を発注しました。
その後、11月15日に1号機、翌1943(昭和18)年2月末に2号機が横須賀航空工廠に引き渡され、実用試験でさまざまな改修が行われます。そして、同年8月に"瑞雲"11型(E16A1)として制式採用されました。
量産型は試作機から改修が行われています。発動機は試作機の"金星"51型から54型に換装されました。その他にも1944(昭和19)年8月に第六三四航空隊の"瑞雲"が急降下爆撃訓練中に空中分解をおこす事故が発生し、フラップの強化、エアブレーキ上端切り下げとブレーキ板の穴あけが対策として実施されました。
第六三四航空隊
このページの瑞雲の写真、尾翼をみると634-02と記されています。そう、この瑞雲は六三四航空隊の瑞雲です。第四航空戦隊が編成され、六三四航空隊は1944(昭和19)年5月に開隊されました。瑞雲は水上偵察機とはいえ、水上爆撃機としての運用が考えられており、急降下爆撃訓練と空戦訓練を行われました。
第六三四航空隊の瑞雲は戦艦空母"伊勢"、"日向"での運用が考えられていましたが、両艦で艦載として運用されることはなく、フィリピン方面に進出しました。
フィリピンに進出後は、ラモン湾索敵攻撃、比島沖航空戦、レイテ湾内敵艦船攻撃などに参加。沖縄戦では昼間反復攻撃を、制空権を米軍に奪われてからは夜間攻撃を実施しています。大戦末期に通常攻撃で活躍した数少ない部隊でした。瑞雲搭乗員の生存者は僅か10名に満たないそうです。
私がこの"瑞雲"を観に出かけた日、私たち(ツマも珍しくついてきました)のほかにもこの"瑞雲"を観に来ている方がいらっしゃいました。私と同じように、いろんな向きからこの"瑞雲"の写真を撮っていましたよ(^-^)。
この"瑞雲"、これからずっとここに展示されるのかどうかは決まっていないようですが、ずっとここに展示されると、傷んできそうで心配です。どうするのかな?
参考にした書籍など
- 航空情報 編『太平洋戦争日本海軍機』,酣燈社,1976.9. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/12650879
- 国書刊行会 編『海軍の翼』偵察・練習・特攻篇,国書刊行会,1989.12. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/13228248
- 1分の1原寸大「瑞雲」の一般公開が始まりました / 呉市
おまけ:除籍された"はたかぜ"
除籍された"はたかぜ"がJMUのドック前に移動していました。"はたかぜ"の姿を見ることができるのも、もう長くはないのでしょうか。
ディスカッション
コメント一覧
まだ、コメントがありません