駆逐艦 雪風
2025年は太平洋戦争の終戦から80年です。そんな年の終戦の日8月15日に"雪風 YUKIKAZE"という映画が公開されます。
三角定規を見て(笑)
雪風の映画が公開されることは知っていたのですが、いつの頃か忘れていたのです。しかしこのページを記しているお盆の三連休に"雪風 YUKIKAZE"の90秒予告を見つけました。
見てみると、ちょうど30秒ぐらいのところでしょうか、艦長役の竹野内豊さんが艦橋天蓋(らしきところ)から顔を出して三角定規を使っている姿があります。これを見て、このページを記そうと思いました(笑)。
この竹野内豊さんの姿は雪風に向けられて撃たれた爆弾や魚雷の軌跡、雷跡を三角定規を使って目測しているところです。そして艦長の真下にいる航海長の肩に足を乗せて、右肩を押したら面舵、左肩のときは取舵と命じていました。
この三角定規を使った目測と航海長の肩を踏むエピソードは5代目艦長寺内正道(敬称略)の話です。戦後の寺内正道の手記にも以下のように記されています。
私は、真下にいる航海長の肩に両足を乗せ、足を踏んでは、操舵を命じていた。こうしないと、敵機の爆音と、爆弾の絶え間ない落下音と、機銃の発射音の中に、操舵を命ずる声がかき消されて、寸秒を争う操舵を確実に処理できなかったからだ
私は誇り高き「雪風」の艦長だった 寺内正道 / 丸2024年3月号
映画『雪風 YUKIKAZE』の公式ページをみると艦長は「様々な資料を基に生み出されたオリジナルキャラクター」となっていますが、艦長の名は「寺澤一利」、そしてあの立派な八字髭(^-^)を持っていることからも、5代目艦長寺内正道をもっとも意識していることは間違いありません。ただ、主役の艦長が90kg近い巨漢で太い猪首というのは、イマドキの映画向きではないのでしょう(笑)。
雪風は沈まずに終戦を迎えた
雪風は太平洋戦争開戦間もない1941(昭和16)年12月にレガスピー急襲攻略作戦に参加してから、比島攻略戦、スラバヤ沖海戦、ミッドウェー海戦、南太平洋海戦、第三次ソロモン海戦、ビスマルク海海戦、コロンバンガラ島沖海戦、マリアナ沖海戦、レイテ沖海戦、空母「信濃」護衛、沖縄特攻作戦と多くの海戦に参加して生き延び、空襲を避けて回航された1945(昭和20)年7月の舞鶴への空襲でも沈むことはありませんでした。
それぞれの海戦で生き抜いた雪風は沈没する僚艦の乗組員を救います。時には僚艦だけでなく、敵艦の乗組員も救いました。公式ページを読むと、映画『雪風 YUKIKAZE』ではそういったところにコミットしているのかもしれませんね。
そして終戦後、雪風は復員船として約13,000人の日本人を帰国させました。そして1947(昭和22)年に賠償艦として中華民国に引き渡され「丹陽」として1966年に除籍するまで活躍します。その後、雪風の錨と舵輪が日本に返されました。
返還された錨、舵輪ともに第一術科学校に展示されています… ということなのですが、錨は上写真のように展示されています。しかし、舵輪はどこに展示されているのだろう? 教育参考館での展示だろうと思っているのですが、見た覚えがありません。私の記憶が間違っているだけなのでしょうが(汗)。
太平洋戦争の終戦から80年、世界は混沌としています。日本も直接的な戦禍こそないですが、いろいろ混沌としています。過去の混沌とした時代に先人たちが考えたこと、実行したことを知ることは、自身が考えるときに決して無駄になることはありません。AIな時代ですが、自身が歴史から学ぶことができることはまだ多いと思います。
参考にした書籍など
- 丸 2017年9月号 特集 伝説の強運艦 駆逐艦「雪風」
- 丸 2024年3月号 第二特集 日本海軍随一の幸運駆逐艦・雪風&響
- 永富映次郎 著『駆逐艦雪風 : 誇り高き不沈艦の生涯』,出版協同社,1980.4. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/12398440
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