可部護国神社(招魂社)

2月17日のことですが、可部護国神社を訪れました。「可部に護国神社?」と思われる向きも多いでしょう。広島で護国神社といえば、広島市中区にある「広島護国神社」、あるいは福山市にある「備後護国神社」を思い浮かべると思うのですが、可部にも護国神社があります。

可部護国神社(招魂社)
可部護国神社(招魂社)

あらためて “護国神社” とは

あらためて “護国神社” とは。goo辞書によると下記の説明があります。

国家に殉難した人々の霊を祭る神社。明治維新以降、各地に創建された招魂社を昭和14年(1939)に改称したもの。

そして文中の “招魂社” はgoo辞書によると下記の説明があります。

明治維新前後から国家のために殉難した人の霊を祭る神社。各地に建てられ、昭和14年(1939)護国神社と改称した。

国家のためにつくして亡くなった方々のを祭る神社で招魂社から護国神社とかわったようです。深掘りしていくといろいろな考えがあるようですが、ここでは気にしないことにします。

可部護国神社(招魂社)

可部護国神社(招魂社)は1919(大正8)年に可部町上市の高宮高等小学校の校庭に建てられました。終戦で1945(昭和20)年末、両延神社に移転。当時の遺族委員長(元可部町長)が発起人になり、遺族会や有志の寄付金で2年後の1947(昭和22)年4月、現在地の旧可部高校グラウンド北に招魂社を建立しました。大林、三入、亀山の旧3村が可部町に合併した1955(昭和30)年、3村の戦没者も合祀しています。

可部護国神社(招魂社) 参道入口
可部護国神社(招魂社) 参道入口
可部護国神社(招魂社) 拝殿
可部護国神社(招魂社) 拝殿

拝殿には “招魂社” とあります。上の説明はファミリー可部2010年4月号を参考にしたものなのですが、そこでも “護国神社” ではなく “招魂社” とありました。可部護国神社においては可部招魂社と呼ぶほうが一般的なのでしょう。

拝殿には “お願い” が書かれていました。

拝殿に書かれていた 'お願い'
お願い

この招魂社は皆さんに関係の深い可部町の方で日清、日露、日支事変、大東亜戦争等で国のために戦い又動員学徒等、若い人々が原爆により尊い命を捧げられた方々八百余柱をお祭りしてあるお宮です。
この人達の働きにより世界で最もめぐまれた平和な今日の日本があるのです。
この神社に参拝する皆さんは神霊に感謝し何よりも敬虔な心をもって神前にぬかづくという気持ちを忘れてはなりません。
又、神殿や神域にいたずらをすることはやめましょう。神様は常に見守っていて下さいますが決して罰を与えることはありません。
然し自分の心にさいなまれ自身の招いた罪悪感を背負って一生苦しむことになります。皆さんが今一人で静かに神様の前に立ってごらんなさい。
必ず手を合わせ頭を下げて神様を拝む尊い心がわき出るだろうと信じています。
それが日本人です。

とてもわかりやすく、そしてとても良い文章だと思います。それにしても、過去にいたずらをした者がいたのでしょうか… いったいどんな気持ちで行うのでしょう。

本殿はこちら。拝殿の後ろにあります。

可部護国神社(招魂社) 本殿
可部護国神社(招魂社) 本殿

拝殿の左側奥には義勇奉公と書かれた碑もあります。

義勇奉公碑
義勇奉公碑

碑の横には砲弾がありました。ここで祭られている方々に何かゆかりがある砲弾なのかなと思ったりもしたのですが、まわりをみても砲弾についての説明はありませんでした。

招魂社のはじまりが長州に由来するということで、一部では護国神社のことをよく思わないようですが、護国神社への思いはどうであっても、国家のために殉難した方々のことを考える気持ちは大切なものと思います。

参考にした書籍など

おまけ:まわりにはたくさんの猿が(驚)

神社そばの空き地です。たくさんの猿がいました(驚)。

可部護国神社(招魂社)近くで見かけた猿たち
可部護国神社(招魂社)近くで見かけた猿たち

もう40年近く前のことですが、白木のほうでは見ることがありました。こちら(可部)のほうにもやってきたのかな。