大亜細亜悲願之碑

平和記念公園から1kmほどの場所にある本照寺。この本照寺にはインドのパル博士による慰霊詩を碑文とした “大亜細亜悲願之碑” があります。

本照寺(広島市中区)
本照寺(広島市中区)

パル判事

インドのパル判事(あるいはパール判事)の名は聞いたことがある人が多いのではないでしょうか… と思っていたのですが、最近は名前すら聞いたことがないという人も少なくないみたい(汗)。極東国際軍事裁判(いわゆる東京裁判)において被告人すべての無罪を主張し、反対意見書を提出した判事です。

1942(昭和27)年、パル博士が来広

パル博士(裁判は終わっているので”博士”と記します)は1942(昭和27)年に広島を訪問しました。平和記念公園の原爆慰霊碑を訪れ、碑文「安らかに眠ってください 過ちは繰返しませぬから」の意味を通訳のナイル氏から説明を受け、とても憤ります。

  • 『過ちは繰返しませぬから』とあるが、原爆を落としたのは日本人ではないのは明らかであり、どんな”過ち”なのか
  • (原爆を)落とした者の手はまだ清められていない。(原爆を)落とした者の責任の所在を明らかにして”再び過ちを犯さぬ”というのならば肯ける
  • “過ち”が太平洋戦争を指すのであれば、これもまた日本の責任ではない。戦争の種は、西欧諸国が東洋侵略のために蒔いたものであることは明らかなこと

このパル博士の発言はのちに碑文論争を巻き起こしました。

パル博士による碑文

この夜、通訳のナイル氏の旧友だった本照寺住職筧義章氏がパル博士に「『過ちは繰返しませぬから』に代わる碑文を書いていただきたい」と懇願します。パル博士は快諾し、ベンガル語で碑文を書かれました。”大亜細亜悲願之碑” にはこのベンガル語の碑文、日本語と英語に訳された碑文が記されています。

大亜細亜悲願之碑
大亜細亜悲願之碑

上写真の右側にも写っていますが “大亜細亜悲願之碑” 右側にある石碑には次のように記されています。

大亜細亜悲願之碑 碑文の説明
果敢な反英実力闘争を経て日本に亡命したインド独立運動志士ラス・ビハリ・ボース氏に信任されていたことを同行のAM・ナイル氏から聞かされたパール博士は筆者に親近感を持たれ 慰霊文執筆を快諾された 英文中のLORDを真理としたのはマハトマ・ガンディの真理の把持による
本照寺再興住職 筧義章 記

ベンガル語、日本語の碑文です。

大亜細亜悲願之碑 碑文
大亜細亜悲願之碑 碑文
大亜細亜悲願之碑 碑文
激動し変転する歴史の流れの中に 道一筋につらなる幾多の人達が 万斛の思いを抱いて 死んでいった しかし 大地深く打ちこまれた 悲願は消えない
抑圧されたアジアの解放のため その厳粛なる誓にいのち捧げた 魂の上に幸あれ
ああ 真理よ あなたは我が心の中に在る その啓示に従って我は進む
一九五二年一一月五日
ラダビノード・パール

英語の碑文、この碑の説明です。

大亜細亜悲願之碑 碑の説明
大亜細亜悲願之碑 碑の説明
大亜細亜悲願之碑 碑の説明
ベンガル語の慰霊詩文は 東京軍事裁判でただ一人真理と国際法に基づき日本の無罪を主張し原爆投下の非人道性を指摘したインド代表判事パール博士が 昭和二十七年の秋来広の際 斯の碑建立の趣旨に共感し半日瞑想推敲して揮毫されたものである アジアの民族運動と戦禍にたおれた満蒙華印等動乱大陸の多くの人々の面影偲び浄石にその名記し石窟内に奉安 有志恒友相倚り碑を建立した 慰霊の式典をかさねること三十三回 昭和四十三年五月 恒友協力浄域を整え再建す 日文源田松三筆 英訳文エ・エム・ナイル 碑銘大亜細亜は宮島詠士先生の遺墨に依る

一人のおじさんの意見

原爆慰霊碑の碑文「安らかに眠ってください 過ちは繰返しませぬから」については必ずしも悪い文とは思いません。ただそう感じるのは、私が主語や”過ち”をそのように… 言ってみれば「悪い文と感じないような解釈」をしたから。解釈によって感じ方はいろいろでしょう。

靖国神社のパール博士顕彰碑
靖国神社のパール博士顕彰碑

パル博士は日本、そして日本人が極東国際軍事裁判により「日本(人)は侵略国家」「日本(人)は太平洋戦争の戦犯」という自虐的な観念を持っていることを嘆かれ、そして憤慨されていました。

私は反対意見を論破できるほどの知識はありませんが、正しくもあり正しくもないと思っています。

たとえば、太平洋戦争の前から列強国の植民地となっていたアジア各国を独立させようと考えたのは間違いないでしょう。一方で独立後は日本の支配のもとにおこうと考えていたのも間違いないわけで。ただ、これをもって侵略国家というのであれば、太平洋戦争で戦勝国となった欧米列強国も侵略国家ではないでしょうか。

原子爆弾については、連合国が勝利するために使う必要があったのかというとそんなことはない。使わずとも勝利したでしょう。実際、1945(昭和20)年に入って激化した各都市への空襲、沖縄陥落などから、日本でも一部グループが旧ソ連を通じて終戦工作を行っており、それはアメリカも知っています。それでも原子爆弾を使ったアメリカを非難する向きがあるのは当然のこと。

しかし私は広島および長崎への原子爆弾による攻撃がなければ、日本は徹底抗戦を叫ぶ軍強硬派のためにポツダム宣言を受諾することはなかったと考えます。結果、日本は本土決戦に突入し、その結末は2018年の今とは比べることが無駄なほど悲惨な状況だったのではないかと。

歴史に “if” を持ち込むこと自体が間違っていると考える向きもあるでしょう。原子爆弾をある意味において肯定するような考えを持つことを否定する向きもあるでしょう。でも、自身で考えて何かしらの結論を得ることが大切なんだと思います。

パル博士のように考えた方の存在を知って、自分なりに考える… きっと皆が納得する正解はないでしょう、しかし、繰返しますが自分で考えることがとても大切なことです。

この書き込みをするために私なりに調べた極東国際軍事裁判でのバル判事の意見書(パル判決書)について別に記したいと思います。