暁橋

宇品と元宇品(宇品島)を結ぶ暁橋を紹介します。

宇品島(元宇品)をつなぐ暁橋
宇品島(元宇品)をつなぐ暁橋

暁橋は陸軍が架けた橋

暁橋の歴史は宇品築港まで遡ります。1889(明治22)年の今の宇品地区の埋め立てと宇品築港により、宇品島が本土と陸続きとなりました。しかし陸続きとなった故に漁師などの舟は宇品島をまわるように遠回りしなければいけなくなりました。これに反対する向きが夜に道路を破壊し、それを修復するということが繰り返されたそうです。

眼鏡橋

これはいけないと考えたのでしょう、7人の有志が中心となって架橋するよう運動し、1893(明治26)年に眼鏡橋が完成しました。

広島県立文書館 絵葉書 宇品港メガネ橋景
広島県立文書館 絵葉書 宇品港メガネ橋景

絵葉書の真ん中ぐらい、写っている人たちの左端の方がいるところが眼鏡橋でしょうか。橋の欄干らしきものが見えます。この絵葉書では橋のかたちがよくわからないのですが、"うじな通になろう"にイラストが記されています。興味のある方は見てみてください(リンクは参考にした書籍などへ)。

この架橋について記されている碑が橋のたもとにあります。

暁橋たもとにある碑
暁橋たもとにある碑

この碑をはじめてみたとき “えらい凝った形しているな" と感じたのですが、そうではなく割れているのでした(汗)。この碑、一時期行方不明となっていたらしい。そのときに割れてしまったのでしょう。

行方不明となった理由はわかりませんでしたが、"広島百橋"にはトラックがぶつけて海中に転落させたのだろうとあります。本気でそう思ったのか冗談なのかはわかりませんが、行方不明になったとはなんともかわいそうな碑です。

陸軍が新たに架橋し暁橋に

その後、陸軍船舶司令部(通称暁部隊)が水路拡張のために眼鏡橋を取り壊し、新しく橋を掛けます。そのときに暁橋となりました。

暁橋による水路
暁橋による水路

上写真は暁橋によってできた水路… 戦後に改修など行われたようなので、陸軍が架橋したときと同じなのかわかりませんが、このぐらいの幅で役にたったのかな? と感じたので、当時の写真を国土地理院さんのサービスで見てみます。

1945年8月8日の宇品
1945年8月8日の宇品

写っている舟の多くは暁橋による水路を使うことができそうです。ちなみにこの写真が撮られたのは原爆投下から2日後の1945年8月8日。一部倒壊していると思われる建物があります。

暁橋たもとから広島湾を見てみます。

暁橋たもとから見る広島湾
暁橋たもとから見る広島湾

太平洋戦争の終戦まで陸軍の拠点のひとつだった面影は全く感じさせません。令和の時代も軍がその力を直接発揮することがないことを願います。

参考にした書籍など