戦艦「長門」と日本海軍

大和ミュージアムで開催されている第26回企画展 “戦艦「長門」と日本海軍” を観に出かけました。昨年4月25日から開催されている企画展です。最初の予定では今年1月20日までの開催でしたが、3月24日まで延長されています。

企画展 "戦艦「長門」と日本海軍" エントランス
企画展 “戦艦「長門」と日本海軍” エントランス

戦艦「長門」とは

戦艦「長門」は当時の日本海軍が計画した戦艦8隻、巡洋艦8隻からなる八八艦隊の第一段階となる八四艦隊(戦艦8隻、巡洋艦4隻)の一部として大正五年度予算で成立した第七号戦艦として建造されます。

復刻されていた3つのスタンプ
復刻されていた3つのスタンプ

計画当初は36cm砲を搭載する戦艦でしたが、米英の動向およびジュットランド海戦の戦訓から計画を変更し、16インチ砲(41cm砲)を搭載する戦艦とすることに決定。呉海軍工廠で1917(大正6)年8月28日に起工、1919(大正8)年11月9日進水、1920(大正9)年11月25日に竣工しました。

「長門」進水記念絵葉書
「長門」進水記念絵葉書

世界ではじめての16インチ砲(41cm砲)を搭載した「長門」は、長門型2番艦の「陸奥」とともに「ビッグ7」(ワシントン海軍軍縮条約下で存在した16インチ砲をもつ7隻の戦艦)の1艦として日本だけでなく、世界に存在を示したのです。

そんな「長門」は1934(昭和9)年に大改装が実施され、太平洋戦争に突入します。開戦時は連合艦隊旗艦として山本五十六連合艦隊司令長官が乗艦しており、開戦を伝える「ニイタカヤマノボレ1208」は「長門」から発信されました。

その後、ミッドウェー海戦やマリアナ沖海戦、レイテ沖海戦などに参戦しましたが、「長門」は戦艦では唯一沈没することなく終戦を迎えます。その後、アメリカに接収され、ビキニ環礁での核実験において標的艦になり沈没したことはご存知の方も多いと思います。

再現された長官公室

この企画展の主要展示のひとつが部分再現された「長門」の長官公室です。卒業旅行で来呉されたのでしょうか、若い女性のグループがボランティアの方から説明や(これからの生活についての)激励を受けていました。

部分再現された「長門」の長官公室
部分再現された「長門」の長官公室

上で太平洋戦争開始時に連合艦隊旗艦だったことを記しましたが、「長門」は日本海軍の中で最も長い期間 “連合艦隊旗艦” を務めています。そんな「長門」には、とても立派な長官公室がありました。こういった部屋で連合艦隊司令部が会議をしたりしていたんですね。

開戦間もないころは戦況もよかったですが、次第に悪くなっていく状況下で司令部の面々は何をどう考えていたのだろうと感じたりします。

教科書とか

様々な展示がされていたのですが、もっとも「へぇ〜」と思ったのがこの展示。教科書やお菓子の景品に「長門」(長門型戦艦)が使われていました。「長門」(と姉妹艦の「陸奥」)が日本海軍を象徴する艦のひとつであり、国民に親しまれ人気のあった艦だったことがわかります。

教科書で取り上げられる長門型戦艦 1
教科書で取り上げられる長門型戦艦 陸奥の進水

「陸奥」は横須賀海軍工廠で建造されました。この教科書で取り上げられている進水式は1920(大正9)年5月31日に行われています。

教科書で取り上げられる長門型戦艦 2
教科書で取り上げられる長門型戦艦 長門型戦艦を描く

書かれている軍艦の絵をみると、艦橋うしろの煙突が屈曲煙突であることから長門型戦艦と考えられます。それにしても屈曲煙突って、優雅というかなんというか… 何か艶やかな雰囲気を感じます。意味不明ですか(汗)。

キャラメルの引換商品になった長門型戦艦「陸奥」
グリコの引換商品になった長門型戦艦 陸奥模型

この展示 “軍艦陸奥組立模型” とあるのですが、よくみると戦艦「長門」に引換証100枚で交換できることが記されています。タイトルは「陸奥」ではなくて「長門」の間違いではないのかと。ちなみに80枚で巡洋艦「熊野」、60枚で駆逐艦吹雪、30枚で軍艦文鎮と引換できたようです。

キャラメルの引換商品になった長門型戦艦「陸奥」のポスター
キャラメルの引換商品になった長門型戦艦「陸奥」のポスター

こちらは森永ミルクキャラメルを50銭買った方に進呈とあります。いったいどれくらい購入すればよかったのかな?

「陸奥」は1943(昭和18)年、柱島沖(山口)で爆発し沈没しています。その原因については諸説ありますが、真相ははっきりしていません。そんな「陸奥」は周防大島に記念館(陸奥記念館)があります。気になる方は周防大島へのドライブがてら出かけてみてはどうでしょう?

活躍はできませんでしたが

太平洋戦争においては、その主役は空母と航空機でした。戦艦で活躍した(できた)艦は速力があり、機動艦隊に随伴することができた金剛型戦艦ぐらいでした。

「長門」も「陸奥」も活躍はできませんでしたが、日本軍の力を世界に示す艦として国民に愛されました。これからの日本で、こういった艦がでてくることはあるのかなと考えたりするのでした。

参考にした書籍

  • (2012年4月号)特集 長門&陸奥