目鏡橋(広島県世羅町)

三次市吉舎町辻地区の彼岸花を観たあと、国道184号を南下して世羅町へ。目的地は目鏡橋です。

目鏡橋 広島県世羅町
目鏡橋 広島県世羅町

国指定の登録有形文化財

世羅町の目鏡橋は国指定の登録有形文化財です。2010(平成22)年に指定されました。

目鏡橋 説明板
目鏡橋 説明板

橋の上にある説明板の文章を掲載します。

目鏡橋 説明板の文章

登録有形文化財(国登録)
目鏡橋
登録年月日 平成二十二年(二〇一〇)四月二十八日

明治四十一年(一九〇八)に築造された石橋である。
橋は石造り上路式単アーチ橋で、橋長六・六m、幅員一二・一七m。石材は花崗岩で、高さ約三〇㎝、奥行約四〇㎝、長さ三六㎝~一・一mの整形したものを布積みし、上・下流の橋門の左右には石積擁壁が築かれている。二眼ではないが目鏡橋と呼ばれている。おそらく、一眼の「遠眼鏡」の意味からきていると考えられる。橋の上には盛土があり、石橋の橋面が直接路面になっているわけではない。
現国道一八四号の前身「山陰山陽交通車道」(明治十七年(一八八四)から着工)の整備のために築かれたもので、今のように土木作業機械がなかった時代、全て人海戦術で完成させた石橋(暗渠)である。目鏡橋は、長方形の石材の長い辺を縦方向(トンネルの通過方向)に使用した組み方がされており、ヨーロッパ系の技術の流れをくむことがわかっている。
明治時代後半には、すでにコンクリートによる建築が始まっており、石造りそのものは、広島県内においても希少であった。この橋は明治時代末期の土木建築物の技術を知る上で貴重な遺産である。

私、目鏡橋が登録有形文化財になって間もない2010年3月に訪れたことがあります。フィアット500が納車されて3か月、はじめての遠出でした。もう10年以上も前になるのか… って、話がそれましたが、そのときに撮った写真を振り返ってみると、その時はこの説明板はありませんでした。

橋がよく見えない(汗

説明板左下の場所に赤い矢印と"この下"と書かれているのがわかるでしょうか? この説明板の場所では橋がまったくわからないので少し離れてみます。

目鏡橋 広島県世羅町
目鏡橋 広島県世羅町

上写真の左上のほうに説明板が写っています。たしかに下に橋があります(笑。しかし、橋の存在はわかりましたが、9月という季節のせいもあるのでしょう、植物が茂っていてよくわかりません(汗。

反対側から見てみます。

目鏡橋 広島県世羅町
目鏡橋 広島県世羅町

こちらからのほうが橋の形、佇まいがよくわかります(^-^)。やはり石橋というのは、その存在だけでまわりの空間を変える力を持っています(意味不明)。石橋は昨年から三永の石門(広島県東広島市)、鮎原剣神社穹崇橋(山口県岩国市)、枡築らんかん橋(山口県防府市)と訪れました。それぞれが雰囲気を持っていて、どれもよかったなぁ〜。

さて目鏡橋、道の反対側からと比べると、姿はよく見えます。しかし、やはり茂っている植物のために近くまで行くのは難しい。行けないこともなさそうでしたが、ツマが"マダニがいるかもしれない"と心配したのでやめることに。

目鏡橋 広島県世羅町
目鏡橋 広島県世羅町

ということで、ズボラレンズの本領発揮(笑。といっても、そこまで望遠じゃないか(笑。それはともかく、容易に近づくことができるようにしてくれればいいのに。でも、"橋を実際に渡ることができる"ということを考えると、近くまで行けても何がどうってことでもないのかもしれないのか(汗。

いやっ、そんなことはない。キレイな石積みを近くで見ることができるというのは、意味があるのではないかな。でも、手がかかるので容易ではないですね。

広島では決して数が多くない石橋のひとつです。これからの季節はドライブも楽しくなります。人が密になる可能性も低いでしょう(苦笑。実際に目にして歴史を感じられてはどうでしょうか(^-^)?