海上自衛隊 呉地方総監部-2022年

更新の日時が前後しますが、11月5日は海上自衛隊呉地方総監部を訪れていました。

呉地方総監部 第1庁舎
呉地方総監部 第1庁舎

この日も予約なしで一般公開

この日11月5日もフリートウィークで呉基地の艦艇一般公開やこの呉地方総監部の一般公開を事前予約なしで観ることができました。私たち(ツマもついてきていました。ここのところついてくることが多いです。やっと興味がでてきたのか…違う(^^;)が参加したのは12時30分受付開始の回です。参加者は30名弱といったところでしょうか。開門までこの青山門の前に1列で整列していましたヨ。

呉地方総監部 青山門
呉地方総監部 青山門

私が呉地方総監部の一般公開に参加するのは7年ぶりになるのではないかと思います。そのあと2017年の呉サマーフェスタで呉鎮守府司令部地下壕が一般公開されたときにも出かけていますが、それももう5年前のこと。

見学がはじまって向かうのは主役の(?)第1庁舎。その第1庁舎前にあるこちらの松。

呉地方総監部 第1庁舎前の松
呉地方総監部 第1庁舎前の松

錨の形をイメージして剪定しているそうです。案内をしていただいている隊員の方が質問したところ、見学者の方が見事に正解されていました。"剪定をしている隊員も喜んでいるでしょう"と言われていたので、隊員の方が剪定されているのでしょうね。

呉鎮守府 地下通路

今回の一般公開では7年前は見ることができなかった地下通路を見ることができました(嬉)。

呉地方総監部 第1庁舎 海側から
呉地方総監部 第1庁舎 海側から

地下通路入口は海側から第1庁舎をみたときの入口左側にあります。

上の写真、下のほうに鉄条網が写っています。この日、至る所に鉄条網が張ってありました。鉄条網の内側に銃座があったりもして。"やらかす奴らをここ(銃座)から撃つためにある"とツマを騙してたら、隊員の方曰くたまたま訓練と重なっていたらしい(笑)。

話がそれました地下通路の入口です。

呉鎮守府 地下通路への入り口
呉鎮守府 地下通路への入り口

7年前は案内していただいた隊員の方も"どこだろう?"と探すような感じでしたが、今はこんな案内板が設置されていました。そして扉の中も公開されています。

呉鎮守府 地下通路を見る
呉鎮守府 地下通路を見る

太平洋戦争末期には戦争を遂行するために必要な施設や軍需工場までもが空襲による被害をさけるために地下に潜りました。それらを結ぶために張り巡らされた地下通路。

呉鎮守府電話総合交換所

そして7年前に初公開された呉鎮守府司令部地下壕(旧地下作戦室)… と思ったら、入口横にある説明板には"日本海軍呉鎮守府電話総合交換所"と書かれていました。7年前の説明板と変わっています。

呉鎮守府電話総合交換所
呉鎮守府電話総合交換所

説明板に以下のような一文が記されていました。

戦時中の用途や施設名称について確定的な資料は発見されていませんが、戦後すぐに記されたとされる文献には、本施設が「呉鎮守府電話綜合交換所」と記載されています

日本海軍呉鎮守府電話綜合交換所 説明板 より

調査でより信憑性のある情報を得ることができたのでしょう。その"呉鎮守府電話綜合交換所"、この日はゆっくり観ることができました。

呉鎮守府電話総合交換所
呉鎮守府電話総合交換所
呉鎮守府電話総合交換所
呉鎮守府電話総合交換所

戦況が劣勢になり絶対国防圏なんてものを設定しますがすでに力のない日本が護ることができるわけありません。米軍に破られて日本本土空襲がはじまります。呉には1945(昭和20)年3月、7月に大規模な空襲がありました。戦況は悪化の一途をたどり硫黄島陥落、そして沖縄も陥落。海軍は沖縄が陥落する前の天一号作戦によりその戦力のほぼ全てを失っていたといっても言い過ぎではないでしょう。

そういった情報がこの場所でやりとりされることもあったと思います。現場の者は全てを知ることはできないかもしれません、しかしよい状況でないことは感じることができたでしょう。そんな状況を知ったとき、どういった気持ちだったのだろう? そんなことを感じたのでした。

下に記した文献がこの旧呉鎮守府の地下施設について調査をされている方々のものです。読ませていただいてはじめて知ったのですが、この電話総合交換所のほかにもうひとつ地下施設があるのですね。そちらは防空指揮所だそうです。今後の調査によって詳細を明らかにしていきたいとあります。こちらもとても気になりますね。

参考にした文献など