地御前の聴音照射所跡(広島県廿日市市)

地御前にある"地御前キラキラ公園"には旧海軍の聴音照射所(特設見張所)がありました。最初に記しておきます… タイトルに"聴音照射所跡"と記しましたが、現在の公園に"跡"は何もありません(苦笑。

地御前キラキラ公園
地御前キラキラ公園

海軍山

公園入口に"この地を「海軍山」と呼んでいました"ではじまる説明板があります。

「海軍山」と呼ばれていた
「海軍山」と呼ばれていた
この地を「海軍山」と呼んでいました

昭和十六年十二月八日、太平洋戦争開戦。昭和十七年四月十八日本土東京が初空襲を受けた。その後、名古屋・大阪など全国主要都市が空襲を受ける。海軍では、本土の防空態勢を強化するため、地御前村の小高い山であったこの地(ほぼ此の公園全域)にも防空監視所(正式名称不明)の建設を進めた。

(施設の概要)
一 聴音機(大型の集音器) 現公園の西側にあった丘に設置
二 探照灯(大型のサーチライト) 現公園の東側にあった丘に設置
三 火力発電所 探照灯の電源として、その下方にある毘沙門堂の横、現余田公園場所に木造の建物を建築
四 煉瓦造り建築物(司令室が有ったと思われる) 聴音機と探照灯の中間の尾根に建築
五 兵舎(二十人位が居住できると思われる木造建物)煉瓦造りの建物から南側に下った処に建築

監視所からの敵機の情報で、高射砲陣地から砲撃したと思われるが、五千mから一万mの上空を飛ぶB29には弾丸は届かなかった。
戦後、海外からの引揚者が一時的に此処の兵舎を使用していた頃から、だれ言うことなくこの山を「海軍山」と呼ぶようになった。

地御前郷土文化保存会

米軍が1947(昭和22)年に空撮した写真です。

米軍が撮影した写真
米軍が撮影した写真 USA-R507-3-168

…元写真を200%に拡大したせいでよくわかりませんね(汗。しかし、上のほうの丸いところに探照灯、下のほうの丸いところに聴音機、2つのあいだの長方形に色がついているのが火力発電所、その左に兵舎、少し上にあるのが煉瓦造り建築物でしょうか。期待を込めての想像なので信用しないように(汗^2。

地御前聴音照射所の歴史

公園にある説明板に正式名称不明とありましたが、戦時日誌をみても正式名称がわかりませんでした。このページではタイトルに記したように"地御前聴音照射所"と呼ぶことにします。最初に記したように、現在ここに聴音照射所があったことを示す跡はまったくありません。呉海軍警備隊の戦時日誌で歴史を振り返ってみました。

1942(昭和17)年2月
調査中ノ聴音照射所確定地
1942(昭和17)年3月
将来建設ヲ要スルモノ(建設準備中ノモノヲ含ム)
1942(昭和17)年8月
工事施工内報済
1942(昭和17)年11月
工事中ノモノ(特設見張所関係)照聴所
1943(昭和18)年7月
電氣及光學兵器装備工事完成期変更ノ件
1944(昭和19)年3月
官房機密第一二〇九號ノ訓令二依リ工事中ノ照聴所完成ス

地御前聴音照射所は1944(昭和19)年3月に完成しました。完成後の戦闘詳報にある戦闘経過をみると"敵大型九機西南進"、"敵大型一機撃墜"といった報告を行っています。

引渡目録によると、終戦時には以下の兵器などがありました。

  • 九六式百五十糎探照灯・管制器(附属品補用品共) 1基
  • 電動直流發電機 1基
  • 仮稱ヱ式空中聴測装置 1基
  • ヂーゼル交流發電機陸上用四十KVA二二〇V三相六十KVA配付 1基
  • 石油空氣壓縮喞筒 二馬力 1基
  • 兵舎 1棟 其ノ他附屬施設 3棟

地御前にこういった聴音照射所があったことをこれまで知りませんでした。まだまだ知らない遺構があると思うと、やはりアンテナをはって情報を得て多くのことを知っていきたいものです。

参考にした文献など