呉線の目隠し塀(目隠し板)(広島県呉市)

2026年1月2日のことです。雪が心配で車に乗らないほうがよいと判断した私… “それではJRででかけよう"と、呉線の目隠し塀(目隠し板)(以下:目隠し塀)を見に出かけました。列車内から見たいものがあったのです。

呉線 目隠し塀(目隠し板)跡 2026年1月2日
呉線 目隠し塀(目隠し板)跡 2026年1月2日

軍港内を見えないようにするために設置

呉線の目隠し塀といえば、"この世界の片隅に"で一般の方々(?)にも存在を知られることとなったのではないでしょうか。私が2010年に記したページは"この世界の片隅に"がヒットしたときはもちろん、その後も"この世界の片隅に"がTVで取り上げられたりすると、今でも訪れる方が多くなります(凄)。このページでは2010年よりも詳細に紹介したいと思います。

呉線の目隠し塀は海軍が呉線の列車内から呉軍港内の状況を見えないようにするために設置されました。アジア歴史資料センターの「第3118号 12.6.17 呉線(呉、吉浦間)目隠塀新設工事要領変更の件」で1936(昭和11)年に目隠し塀が新設されたことがわかります。

「第3118号 12.6.17 呉線(呉、吉浦間)目隠塀新設工事要領変更の件」
「第3118号 12.6.17 呉線(呉、吉浦間)目隠塀新設工事要領変更の件」

1947(昭和22)年に米軍が撮影した写真に目隠し塀の土台を見ることができます。呉線新宮トンネル(?)から川原石駅方面の青く囲んだ部分に多く見つけることができます。

国土地理院より USA-M282-167を加工
国土地理院より USA-M282-167を加工

この目隠し塀がある場所と呉軍港の位置関係はこんな感じ。本当に呉軍港が丸見えです(驚)。

国土地理院より USA-M2-6-95を加工
国土地理院より USA-M2-6-95を加工

この目隠し塀の土台が一部残っています。このページ最初の写真もわかりにくいですが、2つの土台が写っています。下の写真で丸く囲んだ2つです。

呉線 目隠し塀(目隠し板)跡 2026年1月2日
呉線 目隠し塀(目隠し板)跡 2026年1月2日

この土台が残っているのは国道31号線の魚見山隧道のあたり。魚見山隧道から川原石駅方面に向かう方向になります。ここにはもうひとつ土台があります。

呉線 目隠し塀(目隠し板)跡 2026年1月2日
呉線 目隠し塀(目隠し板)跡 2026年1月2日

土台として紹介されているのはこの3つが多いのですが、上に紹介した米軍撮影の写真にあれだけ写っているのだから、まだあるのではないかと再び呉線に乗車。列車内から見てみるとそれらしきものを見つけることができました。

呉線 目隠し塀(目隠し板)跡 2026年1月2日
呉線 目隠し塀(目隠し板)跡? 2026年1月2日

車内から変な角度をつけて窓越しに録った動画から切り出した画像なので見づらくてすみません。等間隔で設置されていること、紹介されている土台と同じような形をしていることから、これらも目隠し塀の土台だったと思うのですが、どうなんだろう? ちなみにこのほかにもいくつか見つけることができました。

実際にはどんな景色が見えたのだろう?

この目隠し塀、列車内から呉軍港内の状況が見えないように設置されたわけですが、列車内からはどう見えていたのだろうと新宮トンネル(?)を抜けてから川原石駅まで呉線車内から動画を撮ってみました。

呉基地に停泊していた護衛艦かがも見えました。当時は今ほど高い建物もなかったはずなので、もっと状況がわかったことでしょう。これが海軍が見せたくなかった景色ですね。

“新年早々何をしていたんだ"と自身でも感じているのですが(^^;、今年もこんな感じでいろいろなことを楽しむことができればいいなと思います(笑)。

参考にした書籍など

  • 「第3118号 12.6.17 呉線(呉、吉浦間)目隠塀新設工事要領変更の件」JACAR(アジア歴史資料センター)Ref.C05111103300、公文備考 昭和12年 K 土地建築 巻1(防衛省防衛研究所) 6ページ目と7ページ目
  • 呉市史編纂委員会 編『呉市史』第5巻,呉市,1987.3. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/9576305