元宇品の高射砲陣地跡

先日紹介した暁橋を渡ると元宇品(宇品島)です。島にある元宇品公園内に旧陸軍の高射砲陣地跡があります… って、この写真では何もわからないですよね(汗)。もっと言うと、あらかじめ少し情報を持って行かないと、現地では何もわかりません(汗^2)。

元宇品の高射砲陣地跡
元宇品の高射砲陣地跡

コンクリートの遺構

写真を撮った季節が落ち葉だらけなので余計にわからないのですが、落ち葉を払ってよくみると、こんなコンクリートがでてきます。

元宇品 高射砲陣地跡 コンクリート部
元宇品 高射砲陣地跡 コンクリート部

平坦部でわかるのはこれだけなのですが、車道に沿っていくつかのコンクリート片(?)を見つけることができます。

元宇品 高射砲陣地跡 車道に沿って
元宇品 高射砲陣地跡 車道に沿って

〇で囲んだところです。わかりにくいのでまとめてみたのが下のもの。写真内の番号を合わせています。

元宇品 高射砲陣地跡 車道から まとめてみた
元宇品 高射砲陣地跡 車道から まとめてみた

まとめても、これらの写真だと何がなんやらわからない(汗^3)と思うので、国土地理院の地図・空中写真閲覧サービスからの原爆投下直後(1945年8月8日)に米軍が撮影した空中写真からこの場所を見てみます。

国土地理院 地図・空中写真閲覧サービスより
国土地理院 地図・空中写真閲覧サービスより

6つの丸いものを見つけることができます。これが高射砲の砲座です。現在見ることができるコンクリート片は、この6つの砲座のうちのいくつかのものと思われます。

平坦地にあるコンクリート部も砲座のひとつだと思います。空中写真と現在の位置関係がはまらないのですが、このあたりは公園や道を整備する際に地をならしたりしたことで動いてしまっているというので、それが理由でしょう。

7cm高射砲

終戦近い1945(昭和20)年7月に中国地方の防空任務に配置されていたのは第15方面軍の第3高射師団の部隊です。広島はその第3高射師団の独立高射砲22大隊の2個中隊が主力でした。

7月下旬になると広島市に対する米軍機による偵察が活発化します。その対応のため第15方面軍は他地域に派遣していた第3高射師団の高射砲4個中隊、照空2個中隊、あと岩国陸軍燃料廠直接援護の高射砲中隊を追加で広島に配置するようにしました。

そんな高射砲部隊がこの場所に配備していたのは7cm高射砲です。

7㎝高射砲砲座中心部
7㎝高射砲砲座中心部

広島師団史の"広島市及び周辺防空部隊配備要図"をみると口径7cmの高射砲が配備されていたことが記されています。そのことは下記からもわかります。

高射砲砲座中心部、直径は58cm弱
高射砲砲座中心部、直径は58cm弱

メジャーで直径を測ってみると、58cm弱です。アジア歴史資料センターの高射砲陣地築設要領に7cm高射砲砲座の平面図があります。中心部を拡大してみると、58cmであることがわかります。

アジア歴史資料センター 高射砲陣地築設要領 より引用
アジア歴史資料センター 高射砲陣地築設要領 より引用

ということから、配備されていたのは7cm高射砲で間違いないと。

何も知らないと何も感じないただのコンクリート片ですが、興味を持って調べてみるといろいろと楽しいですよね。

高射砲陣地跡とわからない(苦笑)

最初の写真は車道にある高射砲陣地跡の案内板をのぼっていって辿り着く平坦地です。これまで何度か行ったときに、案内板を見てあがってきたであろう人たち、カップルが"何もないね"と言ってたのを聞いたのも1回ではありません(苦笑)。

ここまでコンクリート"片"しかないと、どうしようもないのかもしれません。しかし、"高射砲陣地跡"と案内するぐらいであれば、何かもう少しそれとわかるナニカが存在してほしいと思います(笑)。

参考にした書籍など