陸軍墓地、入口が改修される

去年(2018年)5月に比治山にある陸軍墓地に出かけたときに「今年度礼拝堂を解体し、来年度陸軍墓地入口部分の改修工事を予定しています。」という案内がありました。その改修工事が終わったことを知って出かけてきました。

改修された陸軍墓地の入口(2019年)
改修された陸軍墓地の入口(2019年)

イマドキ(?)な感じに

改修された墓地入口はイマドキな感じでした。

陸軍墓地入口から墓地を望む
陸軍墓地入口から墓地を望む

私が出かけたのは5月5日の午後だったのですが、私のほかにも訪れている方々が複数いらっしゃいました。これまで何度か訪れていますが、思いのほか誰かしらに会うことが多いような気がします。ご遺族・関係者といった感じでもなかったので、陸軍墓地は私が思っている以上に気にしている方がいらっしゃるのかもしれません。

ところで上の写真、よくみると建物内の椅子にクマのぬいぐるみが置いてあります。なんだろう?

広島市による陸軍墓地の説明

以前あった礼拝堂内には2つの団体による説明(以前あった説明はコチラ(旧帝国陸軍:比治山陸軍墓地)へ)が記されていたのですが、この新しい建物(?)にはありません。

一方、広島市による説明は新しい建物にもありました。改修前にあった1995(平成7)年1月付の文章とは一部変わっています。

陸軍墓地の広島市による説明(2019年)
陸軍墓地の広島市による説明(2019年)
陸軍墓地 広島市による説明
陸軍墓地は、明治5年(1872年)に陸軍埋葬地として国が設置した墓地で、西南戦争から第二次世界大戦までの多数の日本人戦没者のご遺骨が葬られています。
当初、墓地は現在の放射線影響研究所の位置にあり、昭和19年(1944年)に墓石の整理統合のため、その大部分が移設等集約されましたが、原子爆弾の投下により多大な被害を受けました。終戦後、放射線影響研究所の前身となる原爆傷害調査委員会(ABCC)の建設に当たり、移設が必要となり、ご遺骨は昭和24年(1949年)に比治山公園内の忠魂墓碑へ改葬されました。その後、多くの人々の奉仕活動により今日の姿に再建され、ご遺骨は昭和35年(1960年)に忠魂墓碑から、この墓地に改葬されました。
現在、この墓地には約3,500基の墓石とともに、多数の人々のご遺骨が合葬され、また、当地の南側には多くの慰霊碑が設置されています。 さらに、当地には日清戦争、第一次世界大戦時等に広島で亡くなった中国人、フランス人、ドイツ人のご遺骨も葬られています。
2019年(平成31年)1月
広島市

墓地南側からの見晴らしがよくなっていました

墓地南側から宇品方面を見ることができるのですが、これまでは木々が茂っていたりして見晴らしがよくありませんでした。しかし、このときは違っていました。

陸軍墓地南側から宇品方面を望む
陸軍墓地南側から宇品方面を望む

広島市が見晴らしがよくなるように木々を整備したのか、たまたまなのかわからないのですが、これだけ見渡せると嬉しい。やはり陸軍にとってここから見える”宇品”はとても意味のある場所ですから。

この写真中央付近に三角屋根の建物があります。その建物と直角に左方向にも同じような建物があります。ズームしてみたのが下の写真。

旧陸軍被服支廠
旧陸軍被服支廠

旧陸軍被服支廠です。広島にはこの被服支廠のほかにも糧秣支廠と兵器支廠がありました(この陸軍三支廠についての説明はコチラ(旧帝国陸軍:広島の旧陸軍三支廠)へ)。広島県ではこの旧陸軍被服支廠の保存・活用を検討していますが、昨年(2018年)12月に公表した改修案を今年(2019年)2月に先送りすることにしています。県もお金がないですからカンタンではありません。

平成の時代は日本では戦争がありませんでした。令和もそんな時代にして戦争による犠牲者の墓地ができないようにしないといけません。