まぼろしの弾丸鉄道

廿日市市の廿日市駅近くに残っている弾丸列車計画時に用地買収の目印に立てた杭を観に出かけました。私がこの杭を見るのは2度めです。

まぼろしの弾丸鉄道 説明板
まぼろしの弾丸鉄道 説明板

そう、2度めなのです

最初に記したように私がこの杭を見るのは2度めのこと。はじめて見たのは今から9年前、まだ廿日市駅前の土地区画整理事業による再開発がはじまった頃です。その頃はこんな様子でした。

2009年5月の廿日市駅北側洞雲寺近く
2009年5月の廿日市駅北側洞雲寺近く

写っているのは洞雲寺です。丸く囲っているのがその杭です。この近くにも別の杭がありました。杭は土地区画整理事業による再開発で撤去されましたが、自治会の方々により新しく整備された洞雲寺公園そばに設置されました。

弾丸列車計画

3本の杭が並んでいます。

弾丸列車計画の杭 3本
弾丸列車計画の杭 3本
弾丸列車計画の杭
弾丸列車計画の杭

説明板を記します。

まぼろしの弾丸鉄道(弾丸列車 東京~下関9時間)
この杭の由来(まぼろしの弾丸鉄道)
日本国有鉄道(JRの前身)は、昭和14年に東京~下関間を9時間で結ぶ『弾丸列車』の計画をたて、将来は対馬海峡にトンネルを掘って、朝鮮半島経由北京行きの直通列車を走らせるという遠大な構想のもとに、翌昭和15年に建設が始められました。そのための用地買収は廿日市市でも行われ、買収用地には枕木を利用した杭が廿日市市を東西に貫いていました。この遠大な計画も太平洋戦争の戦局が悪化したため、昭和18年度末に中止となり、買収用地は一転して食糧増産のために払い下げられ、杭の姿も消えていきました。佐方で保存しているこの杭は、奇しくも当時の杭が洞雲寺の前に数本残っていたもので、大変めずらしいものです。この地区は、廿日市駅北土地区画整理事業として再開発され、田んぼも宅地に変わり、現在では過去の様子を再現することはできなくなりました。そのため、この杭を大切に保存して、弾丸列車の計画を長く後世に引き継ぐため、ここの存置いたします。
平成25年12月 佐方アイラブ自治会

このあたりの予定ルートは次のようになっていました。合致しますね。

広島から可部線を横切り山陽線に沿って北側に出て岩国のはるか北方に進み
(引用:神戸大学経済経営研究所 新聞記事文庫・日本工業新聞 交通(08-033))

対馬海峡から朝鮮半島については地質的にトンネルを掘るのが難しいことから、橋を立ててそこにチューブ型をしたトンネルを通して線路を敷設するといった案が考えられました。説明板にもその図が記されていますが、この案は陸軍の反対により具体化することはありませんでした。

弾丸列車計画は新幹線へ

大陸への輸送力強化のために計画された弾丸列車計画は戦局悪化により中止されます。しかし、この計画により日本坂トンネルや新丹那トンネルが作られたこと、東海道地区については用地買収がすでに行われていたことは、東海道新幹線に活用されました。

弾丸列車計画は成りませんでしたが、戦後に新幹線として甦った… そのように思うと、当時の方々のエネルギーというのはやっぱり凄いなと感じるのでした。

参考にした書籍など

おまけ:読売新聞 “あちこち聖地”

昨年(2017年)6月6日付の読売新聞夕刊(関西版)”あちこち聖地” でこの弾丸列車計画の杭が紹介されています。

読売新聞関西版 2017年6月6日夕刊
読売新聞関西版 2017年6月6日夕刊

2009年6月に記したページを見られたこの記事を書かれた記者の方から連絡をいただき、記事内に私の一言も書かれてたりします(汗)。記事に写っているような子供たちが、日本にはどういった歴史があるのか興味を持ってくれるといいなと感じます。